画一的な“女性らしさ”を押し付けている? ミスコン批判とルッキズムを考える
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 今年の学園祭から、女性アナウンサーの登竜門にもなっていた“ミスコン”や“ミスターコンテスト”を廃止した上智大学で新たに立ち上がった「ソフィアンズコンテスト2020」。主催者の荒尾奈那さんは「インフルエンサーとしての活躍というコンセプトを元に、大学側と協議して作った。全上智生、性別・国籍問わず、誰でも応募できるコンテストだ」と説明する。

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 従来、外見だけで判断されがちだった選考基準を、考え方や内面、発信力の3部門で競い合うスタイルに変更、さらに男女という壁も取り払った。「ミスコンといえば1番の美女を決めるというイメージがあると思うが、これが“ルッキズム”の視点で決めているのではないかと思われているところがあった。過度に外見を重視したり、女性らしさ・男性らしさに囚われたりのではなくて、その人の個性や内面にもっと魅力を感じられるようなきっかけになればいいなと考えている」(荒尾さん)

 容姿や身体的特徴など、外見だけで人を判断することを指し、「容姿至上主義」とも訳される「ルッキズム」。今年6月には女優の水原希子が「美しい顔ランキング」にノミネートされたことに触れ、「自分が知らない間に、ルッキズムの助長に加わってしまっているのかもしれないと思うと困る。そもそも一番美しい人なんて選ぶことは不可能」とInstagramに投稿し、話題を呼んだ。こうした議論の高まりを受け、ミスコンの中止を決断する大学も増えているのだ。

■元ミスコン出場者「容姿には努力の積み重ねも」

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 こうした風潮に対し、ミスコンに出場したことがきっかけで芸能界入りしたというタレントの入澤優は「見た目が良いことでチャンスを掴めるし、注目される分、中身を磨く機会も多い。私も容姿を武器にして夢のスタートラインに立ったことは良かったと思っているし、出場者の容姿を見るのも醍醐味だという人も多かったので、それをなくしてしまうのは…」と違和感を口にする。

 「失礼な言い方だが、もし私がミスコンに出られる容姿ではなかったとしても、勉強やスポーツなど、他の分野で頑張る方法があると思う。もちろん元の顔がベースではあるが、メイクやファッションなどで磨いていくという要素もあると思うし、ミスコンに出る子は化粧の努力をしている。整形でもいい。毎日のダイエットや筋トレもある。そういう積み重ねが容姿を作っていると思うので、努力が評価されているという面もあると思う」。

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 また、グラビアアイドルの倉持由香は 「“容姿がいい”というのは、頭がいい、走るのが早いといった才能の一つだし、同時に努力の結果でもあると思う。美しくなるための努力をしていることを売りにする職業に就きたいと思い、夢を抱いている人もいるので、それを認めてあげるのも多様性なのかな。そして、可愛い子が腐るほどいるのが芸能界なので、単にルックスが良いだけでは生き残れないのが現実。スタッフさんと上手くやり取りすることができるからこそテレビ番組に出られることにもなると思う」と、自身の職業の観点から反論した。

■“ミスコンは画一的な"女性らしさ"を押し付けている”

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 一方、ルッキズムについてオンライン署名運動を行っているArata さんは「容姿で人を判断するルッキズムの土俵に上がりたくないというのと、私がルッキズムに反対する理由を、私の容姿と関連付けてほしくないという気持ちがある」と理由から、あえて顔出しをせずに出演。その上で、次のように指摘した。

 「学問をする上では平等なはずの生徒たちの容姿に優劣をつけること、それを大学が容認していることは大きな問題だ。また、多くの場合、ミスコンやミスターコンは、“女性らしさ”や“男性らしさ”といった多様性のないジェンダー規範を押し付けるイベントになってしまっていると思う。その“らしさ”を押し付けられることに苦痛を感じる人、アイデンティティに多様な考えを持つ人の存在を無視してほしくない」。

 さらにArataさんは、ミスコンやミスターコンの出場者や関係者の参加が自発的なものであったとしても、そこには問題が孕んでいると話す。「コンテストで容姿を判断するという価値観を見ている人たちも内面化していくことになる。“これは良いことなのだ、これは大丈夫なことなのだ”と肯定し、内面化することで、コンテストの外で同じようなことを他人に行ってしまうことが懸念される」。

■"内面"で順位付けすることの是非も

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 そうした観点から、Arataさんは上智大学の「ソフィアンズコンテスト2020」について、「その人の本質的な部分が否定されるのはダメだと思うが、社会問題について考えて、主張をすることが評価されるというのは全然ありだと思う。ただ、結局は投票者も容姿を見ることになると思う。それは仕方のないことではあるが、今の社会の価値観が変わっていけば、容姿だけを見る人も少なくなっていくとは思う。その意味では、今回の取り組みがきっかけになってルッキズムについて考える人が増えたり、意識したりする機会になるとは思う」と指摘する。

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 テレビ朝日平石直之アナウンサーは「むしろあらゆるジャンルを見た“総合ランキング”のような形で順位付けされた時の方が、傷付いてしまうのではないか」、「Black Diamond」リーダー、あおちゃんぺは「一番かわいい子が一番売れるというわけではないと思うし、意外とみんな内面も見ていると思う。むしろ、その内面で順位付けされることの方が傷つくのではないか」と別の角度からコメント。

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 ジャーナリストの堀潤氏は「NHKアナウンサー時代、朝のニュースを担当する女性アナウンサーの人選について、権力を持った人たちが“息子のお嫁さんにしたいタイプがいい”と、自分たちの感覚で配置していく様子を見て、嫌だなと思った。その一方で、“こっちのコンテストは良いけど、こっちのコンテストはダメだ”と、選択を狭め、排他的になっていくリベラルの運動も嫌だ」と指摘した。

■カンニング竹山「容姿だけで勝負する人生はくだらない」

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 カンニング竹山は「人は見た目が全てじゃない。俺なんて見た目はブサイクなおじさんだし、汚くて生理的に受け付けないという人もいると思う。でも、入澤さんよりは成功していると思う。世の中には、逆に入澤さんのことを美しくないと思う人だっていると思う。結局、どういう生き方をしているかが顔に出る。容姿だけで勝負する人生ほどくだらないものはない。イケメンの俳優さんでも、それだけでダメだ。裏側で素晴らしい人間性などあったりする。人間の美しさというのは外見だけじゃないということが、成長するにつれて段々と分かってくると思う」とコメント。

 Arataさんは「容姿が重視される職業というのは、同時に女性が働く場、女性が大多数を占める場だとも言える。ルッキズムの一番の問題は、男性と女性とでは容姿で判断される場面の多さや度合いが非対称的で、見た目によって不利益を被るのは女性が多いということだ。例えば女性だったら、肌が白いことや目が大きいこと、脚が長いことなど、顔だけではなく身体の全体がルッキズムの対象。この非対称性を変えていくべきだし、“男性の美しさはこれ”、“女性の美しさはこれと”、いうような枠組みをなくしていくべきだと思う」と話していた。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)

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