「エコーを見ながら、真っ暗なここ、本来なら子宮と卵巣があるはずなんだけどね、って」。

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 CHIKAKOさん(34)の身体の中には、多くの女性が持っている子宮や卵巣がなく、代わりに男性が持つとされる精巣があった。性器や子宮、精巣、卵巣など、身体の性に関わる部分が先天的に他の人と異なる「性分化疾患=DSD」だったのだ。

 母胎にいる間に性染色体が多くの人とは異なる構造で形成されることが原因の一つと考えられており、厚生労働省によれば、4500人に1人の割合で起きるとされている。また、性器の形だけでは男性か女性かの判別が難しいケースや、女性で体内に精巣があるケースなど、その数は40種類以上もあるという。

■新生児期に“社会的な性”を決定する難しさ

 DSDに詳しく、CHIKAKOさんの担当医でもある国立成育医療研究センター内分泌代謝科の堀川玲子診療部長は「性器の形が典型的な男児、女児とは異なるため新生児期に気付かれる場合と、思春期に気付かれる場合、さらに成人になってから不妊とかで気付かれる場合と、人によって様々だ」と話す。

 堀川医師によると、新生児期にきちんとした診断を下し“社会的な性”を親と一緒に考え、ケアのできる医療機関は「日本国内に20あるかないか」だという。「出生時にDSDと判明した場合、まず“社会的な性”を決定するというところが難しい。現時点ではこの方が幸せに生きられるんじゃないか、といえる判断も、10年後、20年後の社会の基準ではどうかということはわからないからだ」。

 DSDの一種で500人に1人いるとされる「クラインフェルター症候群」の当事者、黒岩健一郎さん(45)の場合、多くの男性の性染色体は「XY」のところ、「XXY」になっているため、精子が作られないなどの症状がある。

 現在はホルモン治療を行っているが、10代の頃は声変わりや髭などの第2次性徴が弱く、体つきなどから女性と間違われたこともあるという。「トイレに入ってきたおじさんが僕を見て、“すいません”と言って出て行った。改めて男子トイレだと確認したのか、戻ってきて“なんだよ”と言われた。就職した時にも、“男性を取ったはずなのに、なんで女性がいるんだ”と言われた」。

■「女の子として生きていけないのかなという孤独感」

 CHIKAKOさんの場合、自分の身体に違和感を覚えたのは16歳の時のこと。生理が訪れないことから検査を受けたところ、多くの女性の染色体が「XX」のところ、「XY」となっていることが分かり、DSD(性分化疾患)の一種の「完全型アンドロゲン不応症」だと診断された。「詳しい検査結果については親が聞いて、病室から出された私は待合室でずっと泣いていた」。母親は精神的なダメージを考慮したのか、DSDだということは明かさなかったという。

 18歳の時には、詳しいことを知らされないまま、体内の「停留睾丸」を摘出する手術を受けた。「性腺摘出する手術だと説明された。それが何なのかは分からなかったが、“何か大事なものを取られちゃったんだな”と感じた」。自分の性に関わる大事なものを喪った、自己を喪失したという感覚。「女の子として生きていけないのかなという孤独感が強かった」。次第に自傷行為を繰り返すようになり、治療も中断。自暴自棄な生活を送るようになってしまったという。

 転機が訪れたのは23歳の時だった。DSD当事者の漫画を読んだことを機に、再び病院を訪れ、自らもDSDの当事者であることを初めて知った。「自分の体に名前がついてんだって、めちゃくちゃ嬉しかった」。治療を続ける中で、徐々に精神面でも落ち着きを取り戻していった。

 初めて自身と同じ身体のDSD当事者に会った時には、26歳になっていた。「それまでは自分と同じ身体の人に会うことはできなかったので、目の前にした時に、“私はこの瞬間のために生きていたんだな”と思えたぐらいの嬉しさがあった」。ただ、恋愛や結婚の問題は今も頭を悩ませる。「彼がいなかったわけではないが、子どもが産めないので、結婚というビジョンを相手に課してしまうのが申し訳ないなっていう気持ちがあって」。

■「精神的なサポートをしてくれる大人がいなかった」

 堀川医師は、CHIKAKOさんの「停留睾丸」摘出手術について「通常、男性の精巣はお腹の中にあるわけではなくて、外にある。それは適温にないとがん化する可能性があるからだ。CHIKAKOさんの場合も、いずれ悪性化する可能性があるので摘除した方がいいというのが考え方で手術が行われたと思う。ただ、最近では残しつつ検査を定期的に繰り返していくというようなことも方法の一つになっている」と説明。

 その上で「20年くらい前までは、本人には一切伝えないというのが当たり前だったんじゃないかと思う。しかし今は医師と患者さんの関係も変化し、きちんと情報を伝える、聞かれたことには嘘をつかず答えることが基本となっていると思う。だから今から思えば、最初にいらした時にきちんと説明してあげるべきだったとすごく反省している。病院にいらっしゃらなくなってからも、電話をしようかと随分悩んでいた。だから戻ってきてくれた時には本当に嬉しかった」と振り返る。

 そんな堀川医師に、CHIKAKOさんは「当時はネットも無いし、サポートする環境もそれほど整っていなかったと思うので、母も1人で抱え込んでしまっていたと思うし、自分にとっても精神的なサポートをしてくれる大人がいなかったことが問題だった。その意味では堀川先生は悪くないし、むしろ私は感謝している。私が病院に行ったり行かなかったりしていた時期にも、“大丈夫だよ、ちかちゃん、女の子だよ”と伝え続けてくれいたので、安心して治療に戻ることができたんだと思う」と語った。

■「私はちゃんと生きているよ」

 「私はちゃんと生きているよ」と話すCHIKAKOさん。「私の場合、表面に出るような症状もなく普通に生きていけるが、色んな考えの人がいるし、薬を飲み続けなければならなかったり、幼い頃から手術を繰り返している人もいる。だから全員を“性分化疾患”という大きな括りで語ってしまってはいけないのではないかと思っている。それでも私は“有給ないよ、どうしよう”とか、“今日のランチどうしよう”とか思いながら普通に仕事、生活をしている。親御さんたちにも、あなたの娘さん、息子さんも、ちゃんと生きられるから大丈夫だよと言いたい」と訴えた。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)

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