このところ支持率が右肩下がりの菅政権だが、就任当初には菅総理が「非世襲議員」であることが注目と期待を集めた。安倍晋三氏や麻生太郎氏、福田康夫氏など、近年の総理大臣の多くが世襲議員だった中、菅総理が20年ぶりの“たたき上げ議員”だったからだ。
菅総理自身、2009年には「ある大臣は“大正13年から一族で議席を預かっている”なんて言っていた。ある人は“世襲の権化で4代目だ”と話していた。自民党内では世襲の話はタブーだ。なぜなら3割以上がそういう人たちだからだ。しかし党内で自浄作用を働かさなきゃならない」と発言、世襲候補者の党公認に制限をかけるべきとの考えも示していた。
ところが菅内閣の顔ぶれを見てみると、20人いる閣僚のうち、実に12人が世襲議員。去年11月の衆院予算委員会で立憲民主党の辻元清美議員に「世襲制限をして世代交代を図るという当たり前のことをやらないと自民党に未来はない(と言っていた)、それは今でも同じか」と問われた菅総理は「出馬する選挙区で党員投票をやって決めようとか、そういういろんなルールを作っている」と“トーンダウン”していた。
自民党所属の宮路拓馬衆院議員(41)は、政界を引退した父・和明氏(80、鹿児島3区)の後継候補として2014年の総選挙に出馬。選挙区では破れたものの、比例九州ブロックで復活し初当選した。農水官僚だった和明氏が衆院選に初当選したのは、宮路議員が11歳のときのこと。そして父と同じ東京大学法学部に進学、卒業後は総務相に入省し、霞が関官僚となった。
「父は(農水省を退官後)5年間は浪人、つまり無職だったので、当選したときに“親父は何かになったんだな”という思いはあった。そういう父の背中は見ていたし、周りの方に“期待しているよ”と言われたこともあった。それは嬉しくもあったが、冷やかされたり、場合によってはいじめられたりということもあった。だから思春期には反発もしたし、政治家はなるものではないとも思っていた。
具体的に政治家になることをイメージしたのは就職を考えるときだったと記憶している。父から明確に“継げ”と言われたことは無かった。“阿吽の呼吸”のようなものだったと思う。ただ、“まだ早い。10年間は役所で法律や予算についてしっかり勉強しよう”という思いから、まずは霞が関の門を叩いた」。
■宮路議員「自動的に議席を引き継げるというのは、やはり問題があると思う」
選挙には欠かせない「地盤(後援会)、看板(知名度)、カバン(金)」の三バンを親族から受け継ぐことができた世襲議員。東京大学大学院の内山融教授(日本政治)によれば、会期中、非世襲議員の多くが平日は国会で活動、週末には選挙区に戻って祭りなどを回り有権者に顔と名前を覚えてもらおうと努力するのに対し、世襲議員なら週末も東京に残って勉強することができ、結果的に政策通の議員に育ちやすいというメリットもあるという。
一方、数千万円規模にもなるという政治資金管理団体をそのまま引き継ぐ場合、相続税が一切かからないというのも強さの秘密と言えそうだ。「安定した政治資金があるということは、逆に言えば新しい考えを持った候補者、政策的な知識はあるがネットワークや資金面で弱い候補者が新規参入しにくくなるこということでもある」(内山教授)。
宮路議員の場合、自身の選挙において世襲のメリットを感じる機会はあまりなかったという。しかも世襲とはいえ、父子揃って東大法学部卒の元キャリア官僚という経歴。「色々な思いはあるが、自動的に議席を引き継げるというのは、やはり問題があると思う」と明かす。
「確かに地元や永田町では、皆さんが“宮路”という名前を知っているし、“お前の親父には世話になった”と言っていただけることもある。そこをゼロから築き上げるのは大変だろうし、その意味で私は恵まれていると思う。しかし父は初出馬で落選を経験するなど苦労もしていたし、お金の面でも余裕があったとは思わない。世襲というのは批判を浴びてなんぼだが、私も経歴からは見えない失敗も数多くしてきたし、努力してきた自負もある。しかも選挙では大敗し、比例復活で当選させてもらった立場だ。人口減少に伴う議席減によって選挙区が無くなった関係で、今は立憲民主党の川内博史議員がいる地域で新人のように活動をしている。さらに党の公認を争っている相手は、図らずも世襲の方(保岡興治元衆院議員の長男・宏武氏)だ」。
宮路議員が大学生だった2003年、和明氏が地元の集会や農家に挨拶回りをする様子を密着取材したテレビ朝日の平石直之アナウンサーは「政治家って、自分がしたいことを高々と掲げて活動しているというイメージを持っていたが、有権者が何を求めているのか、ひとりひとりの話を一生懸命に聞いている姿が印象的だった。逆に言えば、選挙が危うくなると自分のやりたいことにじっくりと取り組むこともできなくなるということだと思う。その意味では、地盤がしっかりしているということは大事なことだと感じた」と振り返る。
当時は父親の仕事ぶりに今ほど関心が無かったという宮路議員だが、「父は自分のやりたいことよりも、人々を望むことを仕事にしていく人だったと言われる。私もそのスタイルを継いでいくのかもしれないと思っている。私の新しい選挙区は、鹿児島の中でも都市部だ。そこでの有権者のニーズは、父から引き継いだ選挙区とは全く違っていて、女性や子どもの問題や障害、福祉の問題など、ある意味では今までの自民党っぽくない政策だ。しかし、これこそが今の日本社会に求められている政策だと思っているし、女性やLGBT、障害のある方が政治の場に出てきている今の変化を一過性のものにしないための努力が求められている。それが普通の世襲政治家にはない、自らフロンティアを切り開かなければならない私の立場だと思っている」と強調した。
■夏野剛氏「世襲議員が多い国会で格差の問題が議論されるだろうか」
東大法学部卒の元通産官僚でもある八幡和郎・徳島文理大学教授は「日本の世襲は“いいところ”だけ引き継げるのが良くない」と指摘する。
「政治資金の問題もそうだが、“悪いところ”、“悪い評判”は引き継がない。例えば田中角栄さんの跡を継いだ眞紀子さんに対して、誰もロッキード事件の事を聞かない。これは外国ではあり得ないことだと思う。そんな世襲議員の多い自民党が、日本の政治を“バカ殿政治”にしている。つまり親の真似をして、それらしくはやれるが、専門知識があるとか、それなりに苦労してきた、ということもないので、本当に突っ込んで物事を考えられない。田中角栄さんには学歴がなかったが、周りに福田赳夫さんや中曽根康弘さんといったレベルの高い人たちがいたから、一生懸命勉強して負けないようにやってきた。それが今は世襲の人ばかりだから、あまり難しいことを言うと嫌われる。
平成の時代がダメだった理由は、世襲の政治家たちが“まあいいじゃないか”と済ませてきた。その結果、日本の経済成長率は平成30年間で世界201位、ほぼ最下位だ。自民党は各選挙区で候補者を決めるのではなく、他党のように基本的には党が決めるようにすれば良いのではないか。そうすれば優秀な世襲の方をお父さんとは別の選挙区で出すこともできるし、女性比率を高めることにも繋がると思う」。
同じく東大法学部を卒業後、父の跡を継いで大王製紙の3代目となった井川意高氏は「自分のことを棚に上げるわけではないが、閣僚名簿を見ていると、確かにおじいさん、お父さんたちの名前や顔が浮かんでくる。ただ、世襲にも大きく分けて二つあると思う。一つは、初めに叩き上げの人が政治家になり、その親族も政治家になっていったパターン。もう一つは、麻生さんや平井さんなど、地方で企業グループを経営しているような地元の有力者一族の出身というパターン。後者については貴族院議員のようなものを復活させればいいと思うが(笑)、いずれにしろ世襲ばかりが増えれば国の活力が失われてしまうと思う」とコメント。
慶應義塾大学特別招聘教授でドワンゴ社長の夏野剛氏も「東京に生まれ育って、一度も地元に住んだことがないのに、親の地盤を引き継いでトップ当選した、というようなパターンを見ると、果たして地元の声を本当に代表していると言えるのだろうかと思う。今の日本は、親の資産によって学歴や人生が大きく違ってきてしまうという、ストックの格差が大きな国になってしまった。しかし世襲議員が多い国会で、そういう問題が議論されたり、制度改正が行われたりするだろうか」と訴えていた。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)
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