友香子さん「デフサポちゃんねるはじまるよ~」
テツさん「はじまるよ~、今日は……」

 YouTubeチャンネル「デフサポちゃんねる」の動画に登場した夫婦。一見、会話をしているだけに見えるが、再生数は130万回を超えている。なぜこれほど注目を集めているのだろうか。

友香子さん「今日は付き合う前に私が耳が聞こえないことを気にならなかったのかどうかを聞いてみたいなと思って……」

「人生は工夫次第で楽しめる」2歳から聴覚障がい、生まれた子は難病…牧野友香子さんが発信する理由
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 実は、動画に出演する牧野友香子さんは生まれつき重度の「聴覚障がい」を抱えている。動画では軽妙なトークで、自らの「障がい」を赤裸々に語る友香子さん。ニュース番組「ABEMAヒルズ」では、常に笑顔で明るく発信し続ける友香子さんを取材した。

【映像】難聴の友香子さんが“読唇術”で会話を理解する様子

 日本産婦人科医会の公式サイトによると、生まれつき難聴を抱える人は1000人に1人の割合だという。

「親が寝る前まで話していて、なんとなく笑っていても、電気を消した瞬間、何を話してもシーンとしているから『電気を消すと反応しないんです、おかしい』って」

 友香子さんの聴覚障がいが発覚したのは、2歳の時だった。その後、2歳半で補聴器をつけた。

「人生は工夫次第で楽しめる」2歳から聴覚障がい、生まれた子は難病…牧野友香子さんが発信する理由
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「口の形を読むのは、自然と誰かに教えてもらったのではなく、必要にかられて覚えているという感じですね」

 日常の中で自然に「読唇術」を身につけた友香子さんだったが、苦労したのは話し方だった。

「私は読唇術がけっこう得意な方で、相手が何を言っているかが分かるのですが、話す方はかなり練習しました。一文字一文字『あ』から『ん』まで。一文字一文字練習をして、あっているかどうかも『今のそれ(正解)っぽい』と言われて、『あ』ってこれなんだって。同じ言葉を何回も練習して、話す方は小学校5年生くらいまで練習していました」

■初めて知った“障がい者”としての扱い 併願先の高校に担任が激怒

 特別支援学校ではなく、地元の小中学校で学生生活を送った友香子さん。しかし、高校受験で「障がい者」としての扱いを受ける出来事が起こる。

「(受験しようとした)高校の先生が『耳の悪い子を受け入れた実績がないし、そもそも聞こえない人が入ったら迷惑だ』みたいな感じで、バサッと言われた。それを聞いて当時の中学校の先生が『この子は普通に会話もできるし、この高校に受かる偏差値もあるのに、そう言われる筋合いはない』ってすごく怒ってくれて。結局、その高校は受けなかったのですが、それまで差別みたいなものに、あんまり立ち会ったことがなかったんです」

 みんなが自分を知っている地元で過ごしてきた友香子さんは、高校受験で初めて「耳が聞こえないって選択肢がすごく減るんだな」と実感した。

 その後、友香子さんはその高校を受けることなく、第一希望の難関高校に合格。クラスメイトには「口を見せて話してほしいです」とお願いをした。

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「みんな高校生だから、すごく分かりやすく話してくれる。ただ、ゆっくり話されると逆に何を話しているのか、分からなくなってしまう。『普通に話して』って言いたいけど、気を遣ってくれているからあまり強く言えなくて……みたいな感じで。やっぱり壁というか、聴覚障がい者として『どのように接したら良いんだろう』と周りもすごく感じていたと思います」

 高校入学後も自身の障がいとの付き合い方を模索する日々が続いた友香子さん。クラスメイトの気遣いがありがたいと思う反面、改めて自分は耳が聞こえないマイノリティなんだという感覚も体験したという。

 障がいを抱えていても関係なく、フラットに接してほしい。友香子さんがそう思うようになった原体験だった。

 就職活動でも「障がいがある」よりも「自分らしさ」を見てほしいと思い、障がい者枠ではなく、あえて一般枠を選択した。「配慮はするけど特別扱いはしない」という人事の言葉に惹かれ「SONY」に入社を決めた。

 プライベートでも友人に誘われて行ったキャンプ場で、テツさんと出会った。意気投合した友香子さんとテツさんは、1年後に結婚した。

 テツさんに惹かれた理由について「聞こえないことに対してフラットで、何も思ってない。聞こえない人に対してハードルがなくて、私そのものを見てくれているところがすごくいいなぁって思ったんです。障がいにフォーカスせず、人として全体を見てくれたんです」と話す友香子さん。

「人生は工夫次第で楽しめる」2歳から聴覚障がい、生まれた子は難病…牧野友香子さんが発信する理由
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 テツさんは「耳が悪い人、目が悪い人、いろいろな人がいると思いますがそれよりも『性格が悪い』の方が障がいなんじゃないかと思っていて」と自身の考え方を明かす。

「耳が聞こえないことは『気にしていない』と言ったら嘘になりますが、気に留める要素ではないですね。それよりも妻の魅力が勝っていたので、結婚しようと思いました」

■「想定もしていなかった」出産後、子供に“難病”が発覚


 順風満帆な日々を送っていた友香子さん。しかし、またしても大きな壁が立ちはだかった。出産した子供に骨の難病が発覚したのだ。

「妊娠8カ月ぐらいのとき『あれ、おかしいかも』と(病院で)言われた。大きな病院に転院して入院して検査したけど、分からなくて。産んだときに発覚した。自分が聞こえないし、(子供も)聞こえない可能性はあるとは思っていたのですが、全く違う骨の病気だった。想定もしていなかったし、ショックで落ち込みました」

 難病を持って生まれてきた子供。今まで耳が聞こえなくても前向きに過ごしてきた友香子さんだったが、現実にショックを隠せなかった。

 当時の友香子さんについて夫・テツさんは「めちゃくちゃへこんでいました。気丈なのであまりへこんでいないように見えるよう頑張っていたとは思います」と語る。

「でも、やっぱり表情や声色で分かりますよね。一緒にへこむことも大事だと思いますが、へこんでいるよりも『強くいよう』って思いました」

 「何とかなる」と友香子さんを側で支え続けたテツさん。そして、何よりも友香子さんが再び前を向くきっかけをくれたのは、母親の一言だった。

「もうほんと泣きながら『聞こえへんのになんでこんな人生ばっかりなんやろう』って言って『育てるのはほんまに無理』と(母に)言ったんですよ。そうしたら、うちの母が『育てられなくてもいいよ』と言ってくれた」

「人生は工夫次第で楽しめる」2歳から聴覚障がい、生まれた子は難病…牧野友香子さんが発信する理由
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「まだ私も若いし、障がい児を育てるのも二人目だから。私が頑張って面倒を見てあげる」

 母親の一言で、初めて自分の子育てを前向きに頑張ってみようと思ったという友香子さん。自分を明るく前向きに育ててくれた母親が、友香子さんの目標になった。

「(母は)不便なことに対して、一緒に考えて『工夫して分かりやすくしよう』や『過ごしやすくしよう』といろいろ考えてくれた。『聞こえなくてごめんね』『障がい者にしてごめんね』と言われたことがなかったから、それがすごく良かった。私が母にやってもらったように、子供本人の選択肢を増やして、生きやすくしてあげたいと思うようになりました」

 聴覚障がい者で、子供が難病を抱えていても、工夫次第で人生を楽しめる。当事者である自分だからこそ、伝えられることがある。友香子さんは聴覚障がい者として生まれた子供を幼児期から就労まで一貫して支援する「デフサポ」を立ち上げ、7年間勤めたSONYを辞めた。YouTube配信もデフサポの活動の1つだ。

「聞こえないイコール不幸とか、かわいそうではなく、聞こえなくても普通に人生楽しめるようになってほしい。心の持ちよう次第でプラスになる人は、たくさんいると思う。確かに不便なことは多いけれど、不便ばかり目を向けるのではなく、プラス面やできることに目を向けたら、できることもいっぱいある」

「人生は工夫次第で楽しめる」2歳から聴覚障がい、生まれた子は難病…牧野友香子さんが発信する理由
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 YouTube配信について、友香子さんは「障がいにフォーカスを当てるよりも、障がいは1つの要素で、牧野家にフォーカスを当てている」と話す。

「聞こえない人が毎日暗く生活しているわけないじゃんみたいな。障がいがあると『すごく大変なんだろうな』と思われがちだけど、『そうでもないよね』『普通に自分らしく楽しく過ごしている』と知ってほしい。普通の人とは違うところもあるけど、同じところもある。そういうところに共感しながら(配信を)見てもらいたい」

ABEMA/『ABEMAヒルズ』より)

【映像】2歳のときに重度難聴、生まれた子は難病…牧野友香子さんが発信を続ける理由
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【公式YouTube】デフサポちゃんねる
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