5月31日の『三沢光晴メモリアル2021in後楽園ホール~Forever in our hearts~』で最も三沢光晴を感じさせてくれたのは、田中将斗と組んで三沢の愛弟子・丸藤正道(パートナーは船木誠勝)とタイトルマッチ前哨戦を行ったGHCヘビー級王者・武藤敬司だった。
この日に使用した裏地が三沢カラーのグリーンのスパンコールになっている特別仕様のガウンは、2009年9月27日の日本武道館における三沢メモリアル大会で田上明と組み、小橋建太&高山善廣と戦った時に着用したもの。これはタイガーマスク時代から三沢のコスチューム全般を手掛けていた小栗修氏が大会前日に武藤から発注を受けて徹夜で製作した入魂の一着だ。
今回、小栗氏はそのガウンに少し細工をして、背中部分に三沢が使っていたエルボーサポーターを挟み込み、その上からレザーで蓋をした。「今年は13回忌でもありますし、この試合に三沢さんにも参加してもらいたいと思って、三沢さんが生前に使用していた物を忍ばせました」と小栗氏は言う。
そして試合で一番盛り上がったのは15分過ぎ、丸藤が武藤をリバース・フルネルソンにとらえたシーンからの攻防だ。誰もが三沢の必殺技タイガードライバーを連想しただろうが、おそらく丸藤が狙っていたのはタイガー・フロウジョン。タイガー・フロウジョンは「三沢さんの技をそのまま使うことはしたくない」という思いからタイガードライバーの体勢からエメラルド・フロウジョンのような形で落とす丸藤のオリジナル技である。
しかし武藤は踏ん張って丸藤のリバース・フルネルソンをリバースすると、シャイニング・ウィザードから何と三沢の最後の必殺技だったエメラルド・フロウジョン! この一発で試合のすべてを持って行ってしまったと言っていいだろう。武藤がこの技を初めて使ったのは04年7月10日のノアの東京ドーム初進出大会。太陽ケアとのコンビで三沢&小川良成と対戦した武藤は、三沢の目の前で小川に決めたのである。その後、同年10月31日の全日本プロレス両国国技館で三沢と夢のコンビを結成して佐々木健介&馳浩と対戦した際には馳に使っているし、先の2・12日本武道館で潮崎豪からGHCヘビー級王座を奪取した試合でも炸裂させている。
こうして三沢光晴を体現し、最後は足4の字固めで丸藤をギブアップさせて前哨戦に勝利した武藤は「今日は三沢光晴を意識した。俺は丸藤と違って外見だけ意識して。あいつは内面も意識した分、ちょっとセンチになってたような気がするな」とコメント。
武藤は「外見だけ」と言ったが、コンディションを聞かれて「58歳になると、朝目が覚めて、万全な日がないんだよ。本当に万全な時がなかなかない中で、どうコンディションよく試合をやれるかっていうのは、やっぱり腕の見せ所だよ」と答えたのを聞いた時、筆者は三沢の「リングに上がれば相手だけどさ、それまでは自分の中で葛藤があるわけじゃん。ベストに持っていくためには自分との戦いだからね。シリーズが始まる前の日ってナーバスになるの。初日の会場に向かう車の中が一番ナーバス。リングに上がっちゃっえば、アレなんだけど、そこらへんの辛さがあるよ」という言葉を思い出した。
この言葉は、武藤よりも十何歳も若い頃のものだが、その時点で三沢は首に爆弾を抱えて、体は満身創痍だった。それでも三沢は何事もないように自然体でリングに上がっていたし、今の武藤にしてもムーンサルト・プレスができなくなっても常にポジティブ・シンキングでリングに立っている。今の武藤の内面の強さは、当時の三沢の内面の強さと共通するように感じられる。今の武藤は、もしかしたら、あの日から12年後の三沢なのかもしれない。
そうだとしたら丸藤は6月6日のさいたまスーパーアリーナにおける『サイバーファイト・フェスティバル2021』で何が何でも武藤に勝たなければならない。若い頃の丸藤は「今のトップがガッタガタにならないうちに、俺らの世代でキッチリと倒しておかないと、お客さんが納得した世代交代にならない」と言っていたが、結果的に丸藤が四天王で勝てたのは田上のみ。もはや世代交代云々という時期はとっくに過ぎたが、昭和に根っこを持つ最後の世代の四天王、闘魂三銃士を踏み越える最後のチャンスなのだ。
文/小佐野景浩
写真/プロレスリング・ノア