おもちゃを見つけて動き出した、もうすぐ3歳になる晴(はる)くん。しかし、パトカーに近づいても背中は床に付けたまま。くるりと向きを変え、足を器用に使って手に取った。
晴くんはなぜ背中をつけたまま移動しているのか。母親の佐藤亜実さんは「首がすわっていないので、ハイハイができなくて。でも本人は動きたい、移動したいという気持ちがあるので、1歳半頃からああやって動くようになった」と話す。
晴くんは生後4週間で「脊髄性筋萎縮症(SMA)」と診断された。脊髄性筋萎縮症は、遺伝子の異常によって筋力の低下や筋肉の萎縮が進行していく病気。国内の患者数は推定で1000人前後。早期に発症し重症化するI型の場合、ほとんどの場合で人工呼吸器が必要となる。治療を行わなければ2歳までに亡くなってしまうということで、難病に指定されている。
晴くんは母親のお腹にいる間に発症したとみられ、臨月で胎動が弱くなり、生まれた直後から呼吸状態が悪化していった。「自力で座る姿勢を保つこともできない状態。飲み込む力も弱くて、口から食べることは今できていない状況」。晴くんは人工呼吸器による管理が必要で、食事の代わりに鼻から管を入れ、粉ミルクで栄養を取っている。
■熊本大学などの研究グループが新たな治療法に成功
この難病について先週、熊本大学などの研究グループが新たな治療法に成功したと発表した。生まれたばかりの赤ちゃんを検査して発症前の患者を見つけ出し、症状が出る前に遺伝子治療を行ったのだ。
「手足は全く動かないけれど、知的には正常。顔の表情が非常に豊かなので、そうした病気の子どもの治療を“なんとかできないだろうか”というのは、いろいろな人が思っていたと思う。私もその中の1人だ。治療ができるようになったんだけれど、症状が出てから見つかってくるという方が治療を受けられているので、それよりも前でないとこれが本当の意味で効果がある治療という風にならないだろうと考えた」(熊本大学大学院生命科学研究部・中村公俊教授)
長年治療法がなかった脊髄性筋萎縮症だが、2017年以降、治療薬が相次いで承認された。これらは失われた機能を回復するのではなく、残っている機能を正常に保つ薬であるため、できるだけ早い時期の治療が必要。しかし、希少難病ということもあって、症状が出始めても診断をつけるのは困難なのだ。
「通常はある程度症状が出てから、正常との違いがはっきりわかってから治療が始まるので、治療の開始が遅れるとそこから伸びる発達というのはどうしても限られてしまう」(同)
そこで早期発見のために考え出されたのが、すべての新生児を検査する「スクリーニング」という方法。現在でも、先天性代謝異常などを調べるための新生児スクリーニングはすべての赤ちゃんを対象に行われていて、生後4日から6日の間に微量の血液を採取して検査される。その血液を脊髄性筋萎縮症の検査にも使えば、新たに検体を採取する手間も省ける。この方法によって生後13日で脊髄性筋萎縮症と診断された赤ちゃんは、42日目に治療薬を投与。生後2か月を過ぎた時点でも症状は見られず、月齢相当の発達だということだ。
「“このスクリーニングのシステムで早く見つけることが本当にできるのか”とか“見つけた赤ちゃんをちゃんと治療までもっていくことができるのか”ということを、まだ誰も確認していなかった。それがきちんとできたということを皆さんに知ってもらって、『スクリーニングを何らかの形でやりましょう』という呼びかけと、公費にならないと仕組みとしてなかなか定着はしないだろうから、それはぜひ公費で進めてほしい」(同)
早期発見と早期治療の重要性。晴くんの母親である亜実さんもそれを実感している。生後6週で治療を開始した晴くん。投薬によって明らかに手足の動きがよくなって力強さが増し、寝返りもできるようになった。
さらに去年、2歳未満にしか使えない遺伝子治療薬が承認され、1歳11カ月というぎりぎりのタイミングで投与。これにより自発呼吸がしっかりしてきたという。亜実さんは「かなり元気で、『本当に病気の子なんですか』というくらい。動きたくなると(呼吸器を)自分でスポンと外してポイって捨てて、部屋の中をずりずりと背這いで遊んでいる」と話す。
いたずらもできるまでに成長した晴くんだが、“もっと早くに治療を始められていたら”という思いもある。「『マススクリーニングがあれば晴ももうちょっと診断が早かったのにな』とずっと思っていた。うちの子に限らずで、最初に『あれ、おかしいな』と思って病院に連れて行っても、すぐ神経科を受診しましょうとはならない。『ちょっと様子を見ましょう』とか『次の検診でまた診てみましょう』とか、様子見の期間がおかれてしまう」。
■スクリーニング導入には課題も…「公費検査になるまでのプロセスが決まっていない」
亜実さんは「SMA家族の会」と連携し、病気について周知する活動を始めている。「マススクリーニングがもし始まったとしても、うちの子に何かいいことが起きるわけではないが、やっぱりSMAの先輩たちがやってきたように、私たちもこれから生まれる子どもたちのために何かしなければいけないというのは思っているので、使命感とかそういう気持ちでいる」と明かす。
一方、次の世代の患者に向け活動を続けるSMA家族の会の大山有子代表によると、スクリーニングの導入に課題もあるという。現在の方法では、偽陽性や見落としの可能性がある。また、陽性であってもその症状の重さまではわからないことから、どういった治療をするべきかという議論も必要で、希望する人すべてが治療を受けられるのかという問題も残されているという。
大山氏は「やはりいろいろな課題がまだ山積み。ただ、スクリーニングに限らず、一日も早く見つけて、一日も早く治療をするということが重要だというところに変わりはない。命を落とすか命が救われるか、人工呼吸器が付くか付かないかというすごく大きな違いがあるので、できるだけ日本全国のお医者さんにSMAの疑いがある赤ちゃんを早く見つけてもらいたいという願いはある」と訴える。
ちば県民保健予防財団・羽田明氏の調査によると、千葉県の脊髄性筋萎縮症の検査件数は3万1086件(全新生児数の82.6%)。研究の一環で昨年度は保護者の自己負担がなかったが、今年度から有料になったという。
今後の課題として前出の中村教授は「公費検査になるまでのプロセスが決まっていない。クリアすべき条件(赤ちゃんの何割が検査を受け、どのくらい治療につなげたか等)がわからないので、目指す場所が不明になっている。公費検査になるのを待っていると、早期発見・治療すべき赤ちゃんが発症してしまう」とした。
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