横綱の復活優勝はこれまでにも何度かあるが、これほどまでの“不死身”ぶりはまさに奇跡としか言いようがない。横綱白鵬の6場所連続休場明けでの賜盃は1968年秋場所、横綱大鵬の5場所を上回る最長ブランク優勝だ。しかも大鵬のそれは28歳の時。体力的にも想定内と言えるかもしれないが、白鵬は36歳でしかも進退を懸けた場所での全勝優勝という信じられない離れ業だ。
「まさかこの歳で全勝優勝できるなんて場所前は思わなかった」と横綱自身が優勝インタビューで語っていたが、初日の相撲ぶりを見て、この結果を予想できた者は誰もいなかったであろう。
途中休場は許されず、序盤で負けが込めば引退しかないという状況は、最強横綱にとってもこれまでに経験したことのない重圧があったに違いない。今年3月に手術した右膝を軸に小結明生との投げの打ち合いを必死に制し、復帰初戦を白星でスタートさせたのが何よりも大きかった。
「白星が薬」と本人が話していたように序盤は相撲内容よりも結果が大事であった。盤石とは言い難い取り口ながら5連勝で切り抜けたことでプレッシャーはかなり軽減されたことだろう。もともとが尻上がりに調子を上げていく“スロースターター”だけに中盤からは次第に本来の強さを取り戻していった。
大関照ノ富士とともに全勝で勝ち越しを決めると優勝争いもこの2人に早くも絞られ、白鵬の進退問題はいつの間にかどこかへ行ってしまった。両者一歩も譲らないまま千秋楽まで着々と白星を積み重ねていくが、“横綱相撲”を取っていたのはむしろ綱取りを目指す照ノ富士のほうだった。長期休場明けの第一人者は終盤に入り、関脇高安には立ち合いでいきなりのとったりを決めると翌日の大関正代戦では行司の軍配が返るや、仕切り線のはるか後方に下がって仕切るという変則立ち合いに出た。
こうした奇襲はおよそ横綱らしからぬ戦法であり物議を醸したが、立ち合いの“引き出し”の多さもこの横綱の強みでもある。さらに千秋楽も横綱のプライドをかなぐり捨てたような激しいかち上げや張り手を照ノ富士に見舞い、全勝対決を制したが、奇跡の復活優勝の最大の要因を挙げるとすれば、横綱相撲に囚われない勝利へのなりふり構わぬ執念と言えるだろう。こんな芸当は後にも先にも白鵬にしかできない。
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