「俺がクソみたいな精神状態なのに…電車内を見回して勝ち組っぽい女性を見つけ狙った」
6日、東京・世田谷区の小田急線の車内で、牛刀で乗客10人を切りつけるなどした殺人未遂の疑いで、自称・派遣社員の対馬悠介容疑者(36)が逮捕された。
対馬容疑者は新宿区内で万引きをし、通報されていた。品物を買い取ることで被害届けは出されなかったが、この時「通報した女性店員を殺したい」という感情が芽生えたという。しかし、店は閉まったため、電車での犯行に切り替えたということだ。
対馬容疑者の心理状況について、臨床心理士で明星大学准教授の藤井靖氏は「女性に対する執着心がキーワードになる」と分析する。
「これまでの人生の中で、例えば女性と仲良くなれたとか意中の人と付き合えたみたいな成功体験と、一方で自分が馬鹿にされたように感じるとかなかなか関係性がうまくいかないという失敗体験の両方があって、本人の中には女性との失敗体験みたいなものが非常に主観的に深く刻まれていて、その蓄積が一つの背景にあるように思う。また『他の人の多くは異性とうまくやれているのに,自分はうまくやれていない』『本来自分はもっと女性に良く扱われるはずなのに、そうはなっていない』というような、“相対的剥奪”と呼ばれる思い込みの心理も強くあるかもしれない。今回、無差別に被害にあわれた方を選んだということだと思うが、その中で執拗に刺すということは、基本的に殺人においては強い殺意や恨みの感情、攻撃心みたいなのを表すので、やはり殺意の表れといも言えると思う」
また、対馬容疑者は「誰でもよかった」「幸せそうな人を見ると殺したくなる」とも供述。藤井氏はこのような供述から、犯行には“インセル(Involuntary celibateの略)”と呼ばれる精神構造が関係しているのではと話す。
「日本語で言うと“非自発的な禁欲”という意味。つまり、自分では意図せず、あるいは不本意ながら、女性と付き合うとか女性と仲良くなるという意味での禁欲をしているんだというような、あるいはさせられてるというような発想。この発想が背景にあると、女性すべてとか社会全体に敵意だったりとか、攻撃してやろうという発想が芽生えてくるといわれていて、対馬容疑者も似たような心理状態だったんじゃないかなと思う。(無差別に人を襲ったのは)このインセルが関係していると思うが、一番のゴールでいうと女性を全員殺したいという発想だと思うので、それが無差別に大量に攻撃を加えるという行為に結びついたと思う。
このことを前提にすると、同級生の証言として報じられているような、『高校卒業後にナンパ師を自称し街で女性に声をかけていた』という行動も、女性との出会いを増やしたいとか、仲良くなりたいとか、性的欲求などに基づいていたのではなく、自分が上位または主導的な立場になって“意のままに操りたい”“言うことを聞かせたい”という欲求に基づいて、自身の価値を自己確認していた可能性がある」
そして、藤井氏は過去に発生した事件との違いを指摘した上で、次の様な懸念を示している。
「やはり行き当たりばったり感というのはある。今回の経緯を見ても、万引きをとがめられたことがきっかけになって、その女性を殺そうと思ったけどお店が閉まっている時間だったから電車に切り替えたとか、灯油が手に入らなかったからサラダ油にしたとか。あまり決意をしてとか厳密に計画をしてという形ではない犯行。『用意周到じゃなくても自分のやりたいことをやっていいんだ』というような、ある種の犯罪予備軍に対するひとつの呼び水というか、模倣犯につながらないかというのはひとつ懸念されるところ」
加えて藤井氏は犯行の内容や逃走、自らコンビニで申し出るまでの経緯に関わる心理を、次のように分析する。
「対馬容疑者にとって、今回の犯行は自分の人生における一発大逆転、あるいは革命を起こすかのような気持ちで、とにかく自分の行為のインパクトを大きくする意図で、多くの人を傷つけられる逃げ場のない電車という場所や、油に火をつけようとする行為を選んだのでは。そして意図通りに殺すことができなくとも、逃げ惑う人々の姿を見て、強烈な自己肯定、自己承認感を得た可能性が供述から推測される。
そして、犯罪者の一般的な傾向でもある現場からの逃避を安易に図ったものの、逃走の方法は事前には考えていなかった上に、心身の疲労と追われる恐怖に耐えられなくなり、自分が早く楽になるべく状況を受け入れ、おとなしく確保されたのでは。他の無差別殺傷事件でもみられるような、拡大自殺的な心理、つまり容疑者は既に自分の人生に疲れている、という前提もあったかもしれない」
最後に藤井氏は、怒りの感情が芽生えることは避けることはできないとした上で、感情をどう処理するかが重要なことだと話した。
「基本的に人の感情は、なくすことはできない。怒りの感情自体も、まったくゼロにしようということは不可能な話。感情の処理がよくない方向に向かってしまう時というのは、いわば極端な思考の偏り、認知の歪みがあるわけだ。自分で偏った思考を修正するのが、得意な人とそうじゃない人がいる。そういう意味では、社会的に孤立していたり自分の考えが割と極端になりやすい人は、自分の気持ちや考えを表現する場、人に伝える場、それが必要だ。そうすると、他の人の意見や信頼する誰かの一言というのが、例えばそういう怒りが犯罪につながってしまうとか、犯罪でなくても怒りが何らかの形で対人関係の不和につながるとか、そういうことを本質的に防ぐことにつながるんじゃないかなと思う」
(『ABEMAヒルズ』より)
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