1994 FIFAワールドカップ USA(アメリカW杯)の優勝国、試合日程・結果、グループ組み合わせ、対戦カード、サッカー日本代表の成績について紹介します。
目次
- ワールドカップ1994 大会概要
- ワールドカップ1994 大会日程・結果
- 日本代表の結果・順位は?
- まとめ
ワールドカップ1994 大会概要
大会正式名
「1994 FIFAワールドカップ USA」です。
開催国
アメリカで開催されました。開催地は、西海岸から東海岸にかけて、マサチューセッツ州フォックスボロ、ニュージャージー州イーストラザフォード、ワシントンD.C.、ミシガン州ポンティアック、イリノイ州シカゴ、フロリダ州オーランド、テキサス州ダラス、カリフォルニア州パサデナ、カリフォルニア州スタンフォードの9都市でした。
開催期間
1994年6月17日から7月17日 にわたって行われました。
概要
ワールドカップ1994がアメリカで開催されたことは、アメリカ国内のサッカー熱に大きな影響を与える結果となりました。 世界的には非常に人気が高いスポーツがサッカー(フットボール)ですが、アメリカにおける4大メジャースポーツ(野球、アメリカンフットボール、バスケットボール、アイスホッケー)の人気には敵いませんでした。
1967年から1984年まで開催されていたプロリーグ・北米サッカーリーグは、ペレ選手、ヨハン・クライフ選手、フランツ・ベッケンバウアー選手といった、ヨーロッパや南米のスーパースター選手を獲得して人気拡大を目指しながらも、盛り上がりに欠けたまま、消滅することになってしまいました。ワールドカップ1994の開催が決まったことで、再び機運を高め、1996年のメジャーリーグサッカー(MLS)開幕へとつながっていくのですが、当時はまだアメリカ代表チームの人気、評価は高くありませんでした。
しかし、ボラ・ミルティノビッチ監督率いるアメリカは、グループリーグで強豪コロンビアを退け、開催国のノルマともされているノックアウトステージ進出を果たしました。
アレクシー・ララス選手やトニー・メオラ選手といった人気を博す選手も現れ、アメリカ国民の関心と声援は一気に高まっていきました。ノックアウトステージの1回戦は、7月4日の独立記念日にサッカー王国・ブラジルと対戦。結果的には0-1で敗退したものの、戦前の予想を上回る善戦を繰り広げました。アメリカンフットボールで使用されているスタジアムなど、収容人員数が5万人台〜9万人と会場規模が大きかったこともあり、約359万人、1試合あたり約6.9万人の観客動員数を記録しました。この数字は、試合数が52試合から64試合に増えたワールドカップ1998以降に行われた大会をしのぐものでした。
一方で、選手目線で振り返ると、様々な課題、問題が巻き起こりました。アメリカ全土の広大な大陸が舞台であることで、例えば、西海岸は過ごしやすく、東海岸は蒸し暑かったことなどの気温・湿度の変化の問題、各会場間の長距離移動、時差といった問題など、選手にとってコンディション調整の難しさがありました。
さらに放映的な観点から、ヨーロッパ諸国のゴールデンアワーのテレビ中継に合わせたスケジュールで試合が組まれたことで、お昼の時間帯、真夏の炎天下の中でキックオフするデーゲームが多くなりました。アメリカンフットボールのスタジアムには日差しを遮ることができる屋根が設置されていない場合が多いこともあり、選手は“暑さ”とも戦うことになり、体力面のタフさが勝敗を左右することもありました。炎天下という事情を踏まえた戦略の一つとして、消耗の激しい試合が続くなかで自陣の守備を固めてカウンターで勝機を見出す堅守速攻型チームが活躍を見せた大会となりました。
ワールドカップ1994 大会日程・結果
順位 | 国名 |
---|---|
1位 | ブラジル(4回目) |
2位 | イタリア |
3位 | スウェーデン |
4位 | ブルガリア |
優勝国はブラジル
ワールドカップ1994の優勝国はブラジルです。グループステージでグループBに入ったブラジルは、ロシア、カメルーン、スウェーデンと対戦しました。ロシアに2-0、カメルーンに3-0で勝利したことで、最終戦を前にノックアウトステージ進出を決めました。なお、スウェーデン戦は1-1の引き分けとなりました。
ノックアウトステージでは、初戦ではグループAを3位で勝ち上がった開催国アメリカと対戦。レオナルド選手が相手への肘打ちで一発退場となってしまいましたが、ベベット選手が奪った1点が決勝点となり、勝利を収めました。
準々決勝は、アイルランドに勝利したオランダと対戦。ロマーリオ選手とベベット選手のゴールで2点を先取しながら同点に追いつかれる展開となりましたが、ブランコ選手が30メートルを超える距離からの素晴らしい直接FKを決めて勝利しました。ワールドカップにおいて、過去一度も勝ったことがなかったオランダからの勝利となりました。
準決勝はスウェーデンとの“再戦”となりました。序盤から試合を優位に進めながら得点を奪えない展開が続く中で、後半35分にロマーリオ選手が決勝点を奪って1-0で勝利し、決勝進出を決めました。
迎えた決勝戦は、イタリアとの対戦となりました。怪我で離脱していたバレージ選手が奇跡的な回復をみせ、決勝のピッチに帰ってきました。相手のイタリアが主力を累積警告など出場停止で欠いた一方で、ブラジルは戦術が守備的であるというブラジル国内における批判もありつつ、レオナルド選手の出場停止以外はほぼ順調に勝ち進んできたと言えます。
前半、ジョルジーニョ選手が負傷交代するアクシデントがありましたが、試合を優位に進めていました。しかし、後にACミランの“伝説のキャプテン”と言われたセンターバック、フランコ・バレージ選手を中心としたイタリアの守備をなかなか崩せませんでした。
結局スコアレスのまま、ワールドカップ決勝としては史上初めてとなるPK戦にもつれ込みました。両チームのキッカーとも1人目は失敗し、2、3人目は成功。4人目はイタリアのマッサーロ選手が失敗した一方で、ブラジルはドゥンガ選手がきっちりと決めました。
迎えた5人目、イタリアのロベルト・バッジョ選手が蹴ったボールは大きくゴールマウスの上に外れて決着。ブラジルは6大会ぶりの栄冠を手にし、ワールドカップ史上単独最多となる4回の優勝を果たした国となりました。
準優勝国はイタリア
ワールドカップ1994の準優勝はイタリアでした。アリゴ・サッキ選手が所属チームのACミランと同じように代表チームにもゾーンプレスを取り入れようとしましたが、代表チームは練習時間に制限があるため戦術を浸透させることができず、加えて、ほとんどの試合がデーゲームの炎天下で行われたことなどが理由で、ゾーンプレスは機能しませんでした。
また、攻撃的MFのステファノ・エラーニオ選手が負傷で代表チームから外れた影響もありました。グループステージ初戦で、格下と考えられていたアイルランドに敗北を喫していきなり窮地に立たされると、続くノルウェー戦でなんとか競り勝ったものの、最終戦のメキシコとの試合には引き分け、グループは全チーム勝点4で並ぶ混戦となりました。かろうじてグループ3位に滑り込み、ノックアウトステージ進出を決めました。
ノックアウトステージ1回戦のナイジェリア戦も、前半に1点を先制される苦しい展開となり、さらに途中交代したジャンフランコ・ゾラ選手が“不可解な判定”により退場となってしまいました。ビハインドで、なおかつ10人での戦いという苦しい状況でしたが、後半終了間際の89分、ロベルト・バッジョ選手が土壇場で同点ゴールを決め、さらに延長戦でもバッジョ選手が決勝点となるPKを成功させ、劇的な逆転勝利を収めました。
準々決勝のスペイン戦でもバッジョ選手は試合終了直前に決勝ゴールを挙げて2-1で勝利し、さらに準決勝のブルガリア戦でも2得点をマークしてチームの2-1での勝利の立役者となりました。グループステージで無得点だったバッジョ選手は、ノックアウトステージの3試合で5得点を挙げるなど、ワールドカップ1994におけるバッジョ選手は象徴的な選手の一人でした。
イタリアの決勝の相手は、ロマーリオ選手ら攻撃的なタレントを数多く揃えるブラジル。それまで怪我で離脱していたバレージ選手が戦列に復帰した一方で、スペイン戦の肘打ちにより8試合の出場停止処分が下されたマウロ・タソッティ選手と、準決勝までの累積警告により出場停止となったアレッサンドロ・コスタクルタ選手を欠いて戦わざるを得なくなりました。そうした中で守備陣が奮闘し、ブラジルの猛攻に耐えながら、延長を含めた120分間ゴールを割らせずに完封しました。
とは言え、ダニエレ・マッサーロ選手がイタリアにとって唯一だったとも言える決定機を決められなかったことは、試合結果に少なくない影響を与えました。試合はワールドカップ史上初の決勝戦でのPK戦へと突入。バレージ選手、マッサーロ選手が失敗し、最後のキッカーに名乗り出たのはバッジョ選手でした。仮に、この試合でイタリアが優勝を遂げていたらバッジョ選手は間違いなく英雄となったはずですが、惜しくもバッジョ選手がPKを外した瞬間、イタリア代表の準優勝が決まりました。
3位はスウェーデン
ワールドカップ1994の3位はスウェーデンでした。ブロリン選手を筆頭に、マルティン・ダーリン選手、ケネト・アンデション選手、ヘンリク・ラーション選手らを擁して結果を残しました。
グループステージでは、ブラジル、ロシア、カメルーンと同組のグループBを戦いましたが、強豪国との激闘の末、1勝2分のグループ2位でノックアウトステージ進出を決めました。
ノックアウトステージ1回戦では、アジア代表のサウジアラビアを3-1と退け、準々決勝に進みました。準々決勝は強豪、ルーマニアと対戦。延長戦にもつれ込む激しいゲームとなり、最終スコア2-2で、PK戦で勝利をつかみ取りました。
準決勝は、ワールドカップ1994の優勝国となったブラジルと対戦しました。最後まで食らいつく名勝負を繰り広げましたが、80分に相手のエース、ロマーリオ選手にゴールを決められてしまい決勝進出とはなりませんでした。
3位決定戦はブルガリアと対戦し、攻撃陣が爆発。8分にブロリン選手、30分にミルド選手、37分にラーション選手、40分にケネット・アンデション選手にゴールが生まれ、終わってみれば4-0という快勝で、見事3位の結果を手にしました。
決勝
日時 | 対戦カード |
---|---|
1994年7月17日 | ブラジル 0-0(延長:PK戦3-2) イタリア |
3位決定戦
日時 | 対戦カード |
---|---|
1994年7月16日 | スウェーデン 4-0 ブルガリア |
準決勝
日時 | 対戦カード |
---|---|
1994年7月13日 | ブルガリア 1-2 イタリア |
1994年7月13日 | スウェーデン 0-1 ブラジル |
準々決勝
日時 | 対戦カード |
---|---|
1994年7月9日 | イタリア 2-1 スペイン |
1994年7月9日 | オランダ 2-3 ブラジル |
1994年7月10日 | ブルガリア 2-1 ドイツ |
1994年7月10日 | ルーマニア 2-2(延長) スウェーデン |
ラウンド16
日時 | 対戦カード |
---|---|
1994年7月2日 | ドイツ 3-2 ベルギー |
1994年7月2日 | スペイン 3-0 スイス |
1994年7月3日 | サウジアラビア 1-3 スウェーデン |
1994年7月3日 | ルーマニア 3-2 アルゼンチン |
1994年7月4日 | オランダ 2-0 アイルランド |
1994年7月4日 | ブラジル 1-0 アメリカ |
1994年7月5日 | ナイジェリア 1-2(延長) イタリア |
1994年7月5日 | メキシコ 1-1(延長:PK戦1-3) ブルガリア |
グループA
順位 | チーム | 勝 | 分 | 敗 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ルーマニア | 2 | 0 | 1 | 0 | 6 |
2 | スイス | 1 | 1 | 1 | +1 | 4 |
3 | アメリカ | 1 | 1 | 1 | 0 | 4 |
4 | コロンビア | 1 | 0 | 2 | -1 | 3 |
日時 | 対戦カード |
---|---|
1994年6月18日 | アメリカ 1-1 スイス |
1994年6月18日 | コロンビア 1-3 ルーマニア |
1994年6月22日 | ルーマニア 1-4 スイス |
1994年6月22日 | アメリカ 2-1 コロンビア |
1994年6月26日 | アメリカ 0-1 ルーマニア |
1994年6月26日 | スイス 0-2 コロンビア |
グループB
順位 | チーム | 勝 | 分 | 敗 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ブラジル | 2 | 1 | 0 | +5 | 7 |
2 | スウェーデン | 1 | 2 | 0 | +2 | 5 |
3 | ロシア | 1 | 0 | 2 | +1 | 3 |
4 | カメルーン | 0 | 1 | 2 | -8 | 1 |
日時 | 対戦カード |
---|---|
1994年6月19日 | カメルーン 2-2 スウェーデン |
1994年6月20日 | ブラジル 2-0 ロシア |
1994年6月24日 | ブラジル 3-0 カメルーン |
1994年6月24日 | スウェーデン 3-1 ロシア |
1994年6月28日 | ロシア 6-1 カメルーン |
1994年6月28日 | ブラジル 1-1 スウェーデン |
グループC
順位 | チーム | 勝 | 分 | 敗 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ドイツ | 2 | 1 | 0 | +2 | 7 |
2 | スペイン | 1 | 2 | 0 | +2 | 5 |
3 | 韓国 | 0 | 2 | 1 | -1 | 2 |
4 | ボリビア | 0 | 1 | 2 | -3 | 1 |
日時 | 対戦カード |
---|---|
1994年6月17日 | ドイツ 1-0 ボリビア |
1994年6月17日 | スペイン 2-2 韓国 |
1994年6月21日 | ドイツ 1-1 スペイン |
1994年6月23日 | 韓国 0-0 ボリビア |
1994年6月27日 | ボリビア 1-3 スペイン |
1994年6月27日 | ドイツ 3-2 韓国 |
グループD
順位 | チーム | 勝 | 分 | 敗 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ナイジェリア | 2 | 0 | 1 | +4 | 6 |
2 | ブルガリア | 2 | 0 | 1 | +3 | 6 |
3 | アルゼンチン | 2 | 0 | 1 | +3 | 6 |
4 | ギリシャ | 0 | 0 | 3 | -10 | 0 |
日時 | 対戦カード |
---|---|
1994年6月21日 | アルゼンチン 4-0 ギリシャ |
1994年6月21日 | ナイジェリア 3-0 ブルガリア |
1994年6月25日 | アルゼンチン 2-1 ナイジェリア |
1994年6月25日 | ブルガリア 4-0 ギリシャ |
1994年6月30日 | アルゼンチン 0-2 ブルガリア |
1994年6月30日 | ギリシャ 0-2 ナイジェリア |
グループE
順位 | チーム | 勝 | 分 | 敗 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | メキシコ | 1 | 1 | 1 | 0 | 4 |
2 | アイルランド | 1 | 1 | 1 | 0 | 4 |
3 | イタリア | 1 | 1 | 1 | 0 | 4 |
4 | ノルウェー | 1 | 1 | 1 | 0 | 4 |
日時 | 対戦カード |
---|---|
1994年6月18日 | イタリア 0-1 アイルランド |
1994年6月18日 | ノルウェー 1-0 メキシコ |
1994年6月23日 | イタリア 1-0 ノルウェー |
1994年6月24日 | メキシコ 2-1 アイルランド |
1994年6月28日 | イタリア 1-1 メキシコ |
1994年6月28日 | アイルランド 0-0 ノルウェー |
グループF
順位 | チーム | 勝 | 分 | 敗 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | オランダ | 2 | 0 | 1 | +1 | 6 |
2 | サウジアラビア | 2 | 0 | 1 | +1 | 6 |
3 | ベルギー | 2 | 0 | 1 | +1 | 6 |
4 | モロッコ | 0 | 0 | 3 | -3 | 0 |
日時 | 対戦カード |
---|---|
1994年6月19日 | ベルギー 1-0 モロッコ |
1994年6月19日 | オランダ 2-1 サウジアラビア |
1994年6月25日 | サウジアラビア 2-1 モロッコ |
1994年6月25日 | ベルギー 1-0 オランダ |
1994年6月29日 | ベルギー 0-1 サウジアラビア |
1994年6月29日 | モロッコ 1-2 オランダ |
各組3位チーム
順位 | チーム | 勝 | 分 | 敗 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | アルゼンチン | 2 | 0 | 1 | +3 | 6 |
2 | ベルギー | 2 | 0 | 1 | +1 | 6 |
3 | アメリカ | 1 | 1 | 1 | 0 | 4 |
4 | イタリア | 1 | 1 | 1 | 0 | 4 |
5 | ロシア | 1 | 0 | 2 | +1 | 3 |
6 | 韓国 | 0 | 2 | 1 | -1 | 2 |
※表内の日時は全て現地時間
日本代表の結果・順位は?
予選での日本の活躍
ワールドカップ19941次予選で日本代表は、アラブ首長国連邦、タイ、バングラディッシュ、スリランカとのグループを7勝1分という圧倒的な強さで終え、最終予選進出を決めました。
最終予選は、サウジアラビア、韓国、イラク、イラン、北朝鮮と対戦し、2勝2分1敗のグループ3位となり、悲願のワールドカップ初出場を逃しました。
第4戦を終えた時点でグループ1位に立っていたなかで迎えた最終第5戦のイラクとの一戦は、2-1でリードしていたアディショナルタイムに追いつかれ、一転してグループ3位に転落。ハンス・オフト監督が指揮を執り、井原正巳(いはら まさみ)選手、柱谷哲二(はしらたに てつじ)選手、三浦知良(みうら かずよし)選手、長谷川健太(はせがわ けんた)選手、森保一(もりやす はじめ)選手、中山雅史(なかやま まさし)選手、武田修宏(たけだ のぶひろ)選手など、現在でも日本におけるレジェンドと呼ばれるメンバーを擁した戦いの末、劇的な結末でワールドカップ出場を逃したイラク戦は今でも「ドーハの悲劇」と呼ばれ、国内で語り継がれる敗戦となってしまいました。
まとめ
今回はアメリカで開催されたワールドカップ1994の大会結果や優勝したブラジルの戦いぶりなどについて詳しくお伝えしました。ブラジルとイタリアの決勝戦は今もなお語り継がれるような名勝負。特にバッジョ選手がPKを外した場面、後に語られた「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持つ者だけだ」の名言など、さまざまなインパクトを残す試合でした。開催中のワールドカップ2022でも思い出に残る名場面に期待したいですね。