いよいよ開幕が迫るカタール・ワールドカップ。森保一監督が率いる日本代表は、いかなる戦いを見せるか。ベスト8以上を目ざすサムライブルー、26の肖像。今回はMF田中碧(デュッセルドルフ)だ。

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「僕のポジションで言えば『AとB』という形でしょうし、それはしょうがない。(カタール・)ワールドカップのメンバーに入って、試合に出られないで終わるとしても、それでいい。僕もそれなりの覚悟はできているんで。ただ、後は見とけよと。それしかないです」

 9月のエクアドル戦。W杯アジア最終予選をけん引してきた田中碧は悔しさを爆発させた。

 2試合が組まれた9月シリーズでは、遠藤航(シュツットガルト)と守田英正(スポルティング)の主力ボランチが最初のアメリカ戦に先発し、自身は不慣れな柴崎岳(レガネス)とプレー。際立つ活躍を見せられたとは言えず、不完全燃焼を覚えた。目下、彼は本番での巻き返しに燃えている。
 
 そんななか、遠藤が脳震とうに見舞われ、不透明な状況に陥った。最終予選で崖っぷちに立たされた2021年10月のオーストラリア戦で先発に抜擢され、値千金の先制弾を叩き出し、チームの流れをガラリと変えた時のように、田中はカタールで再び日本の起爆剤になるかもしれないのだ。

 川崎フロンターレ時代の偉大な先輩・中村憲剛氏の系譜を継ぐ頭脳派ボランチは、同い年の堂安律(フライブルク)、冨安健洋(アーセナル)と共に、14年のU-16アジア選手権に参戦。早い時期から才能を評価されていた。

 だが、17年のトップ昇格後は分厚い中盤の壁に阻まれ、出番を得られない日々が続く。森保ジャパン発足の18年7月は、まだJ1先発出場すら果たせていなかった時期。「東京五輪なんて想像もできなかった」という。

 流れが大きく変わったのが19年。川崎で定位置を確保し、U-22代表でも台頭。同年12月の E-1選手権でA代表デビューと一気に階段を駆け上がる。Jリーグのベストヤングプレーヤー賞も受賞し、田中は「東京五輪世代の主軸ボランチ」の地位を固めていく。
 
 翌20年は川崎のJ1制覇の原動力となり、21年夏にはデュッセルドルフ移籍と東京五輪参戦の両方を射止める。とりわけ、東京五輪では遠藤との鉄板ボランチコンビでチームを力強くけん引。惜しくもメダルは逃したものの、彼の頭脳的な位置取りやゲームコントロールは大いに光った。

 この働きを森保一監督も認め、W杯アジア最終予選の序盤で3戦2敗と絶体絶命の危機に瀕したタイミングで田中をA代表に招集。遠藤、守田との3ボランチに抜擢したのだ。彼らの連動性と巧みな位置取りはチームに安定感をもたらし、好守のバランスが劇的に改善された。

 そこから日本は右肩上がりの軌跡を描き、7大会連続7回目のW杯出場を果たす。田中の急成長なくして、この結果はあり得なかったといっても過言ではない。

 その後も代表の中心的存在と位置づけられていたが、冒頭の9月シリーズから森保監督が基本布陣を4-2-3-1にシフトしたことで、田中はボランチの3番手にやや序列を下げた格好だ。2部のデュッセルドルフでプレーしていることもその一因かもしれない。
 
 それでも、個々のバトルや激しいボールの奪い合いが中心のドイツ2部で1年半プレーしたことで、逞しさを増したのは事実。ドイツやスペインといった強敵と対峙するW杯になれば、川崎時代のような華麗なパスワークだけでは対抗できない。ドイツ2部で愚直に自己研鑽を図ってきた成果を出せるはずだ。

 川崎アカデミー時代の恩師・髙﨑康嗣氏も「碧はプロになってから人の倍以上の時間をサッカーに捧げ、今の立場を掴んだ。ワールドカップに出るにしても、26年大会だろうと思っていたのに、4年を前倒しした。その集中力は凄まじいものがあります」と太鼓判を押した。

 類稀な戦術眼を備える24歳の努力家がカタールで輝く可能性は、大いにあるはずだ。

取材・文●元川悦子(フリーライター)

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