現在行われているインターナショナルマッチウィーク。日本代表チームは24日にウルグアイ代表と、28日にコロンビア代表と対戦する。
今回はこれまでのワールドカップにおいて「サプライズ落選」で驚きを与えた7名の日本代表選手を振り返ろう。
1998年:三浦知良
日本代表における「サプライズ落選」と言えば、1998年大会前に行われた岡田武史監督の記者会見の映像がまず目に浮かぶ。「外れるのはカズ、三浦カズ。それから北澤…」というコメントと、カズの「魂みたいなものはフランスに置いてきた」という言葉は、これからもずっと語り継がれる名言であろう。
日本代表で長く中心的なスター選手としてプレーしてきた三浦知良であるが、この98年大会前は不調であった。それでも功労者であるカズを外すことはないと思われたが…。
2002年:中村俊輔
フィリップ・トルシエ監督の下、アジアカップでは名波浩&中村俊輔のレフティコンビが躍動して優勝を果たす。しかしながら、2002年の本大会ではその両者ともに選ばれることがなかった。
欧州の強豪と対戦するために「フラット3」とフィジカル面を強化しなければならなかったこともあり、当時日本最高クラスのスターであった中村俊輔がメンバーから漏れ、逆に中山雅史と秋田豊がサプライズ選出されている。
2006年:久保竜彦
ジーコジャパンにおけるエースストライカーといえば久保竜彦の名前を出すファンは多いだろう。独特のリズムと強烈なアスリート能力を備えた選手であり、ジーコ監督からの信頼もかなり厚かった。
しかしワールドカップの前年度に大きな怪我をしてしまい、選手生命を脅かすような状況も経験。ワールドカップに連れて行くことは難しいと判断したジーコ監督は、久保竜彦ではなく巻誠一郎をサプライズ選出している。
2010年:香川真司
当時上り調子のライジングスターであった香川真司。2008年に代表デビューを果たし、すでにキリンチャレンジカップではゴールも決めていた。Jリーグで11試合7ゴールと絶好調で、欧州への移籍も噂されていた。
しかしながら6月に発表された23人には入ることができず、サポートメンバーとして南アフリカに帯同。練習ではキレッキレのプレーを見せていたと言われており、その直後にボルシア・ドルトムントへ移籍している。
2014年:前田遼一
ザッケローニ体制でのエースストライカーは間違いなく前田遼一であった。アジアカップやワールドカップ予選、コンフェデレーションズカップで主力となり、得点だけではなく守備やポストワークでも貢献した。
しかしながら東アジア選手権で大迫勇也や柿谷曜一朗が活躍したことによって前線が入れ替えられることになり、ワールドカップのメンバーから落選。今年日本代表のコーチに就任し、指導者として改めて本大会出場を目指す。
2018年:中島翔哉
2017年夏にポルトガルへと移籍して大活躍し、日本代表に選ばれた中島翔哉。当時最もインパクトがあった日本人選手であったが、ハリルホジッチ監督の解任もあって最終的なメンバー入りはならなかった。
残念ながらその後は移籍の失敗や大怪我などもあってトーンダウンし代表から遠ざかってしまったが、まだ28歳。これからの復活を期待したいところだ。
2022年:原口元気
2022年大会で最も大きな落選といえば大迫勇也以上に原口元気が挙げられる。レギュラーではなかったとはいえ、サイドと中央の両方をこなし、途中出場からでも役割を果たしていた。しかもコロナ禍でメンバーが26人に増えたにもかかわらずの落選に、本人も「驚いた」と話していた。
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それを踏まえてか、この1月には上位のウニオン・ベルリンから下位のシュトゥットガルトへと自ら厳しい道を選択。35歳になる2026年のワールドカップ出場に向けて意欲を見せている。