近年、急速に世界中で盛り上がりを見せている「スポーツベッティング」。各種競技の結果やプレーに対して金を賭けて楽しむものだが、1960年代にイギリスで始まったところ、2000年代に入って各国が採用、2018年にアメリカが一部の州を除いて合法化したことで、一気に市場規模が膨れ上がった。日本では認められていないこのスポーツベッティングだが、実は海外では日本のスポーツもベッティングの対象になっている。この状況に、フェンシングで日本人初の五輪メダリストとなり、現在はIOC(国際オリンピック委員会)の委員でもある太田雄貴氏が、期待と危機感の2つを同時に持っている。団体、選手が賭けの対象になりつつも「日本に1円も落ちない状況」をどうするか、さらには将来的に日本でスポーツベッティングが合法化されるのか、太田氏に聞いた。
【動画】国内でも議論され始めた「スポーツベッティング」の現状
スポーツベッティングは合法、非合法含めて、その市場規模は全世界で約330兆円とも言われている。実に日本のGDP(国内総生産)の約6割にもなる巨額だ。日本でも公営競技(競馬、ボートレース、競輪、オートレース)、サッカーを対象とするスポーツくじ「toto」があり、その市場規模は合わせて約6兆円あるが、その他については金を賭けることが違法になっている。太田氏は、このベッティングが禁止されている日本について、法によって出遅れているものが多いと指摘した。
太田氏 日本の産業は世界と比べてデジタル化が遅れてしまったため、本来日本が取れるはずのものを、取り切れていないという状況があります。たとえばスポーツのデータもそうですし、消費者の行動などもそう。そのために世界の大型プラットフォームに飲み込まれてしまいました。今や「WEB 3.0」と言われる中、NFT(非代替性トークン)にしても、ファントークンやスポーツトークンなども、現状の日本の法律では、なかなかうまくいっていません。世界では合法化され盛り上がっていくところが、日本ではまだまだ法の壁が立ちはだかることによって、大きな機会損失をしてしまっています。
賭博に対する考え方は、日本は厳しい。それゆえに成長が期待される産業に、ブレーキがかかってしまったという苦い経験がある。一つの例が、ゲームを競技として戦う「eスポーツ」だった。
太田氏 少し前にeスポーツが日本で盛り上がり始めた時の話ですが、参加者から集めたお金を賞金として渡すことができませんでした。ある種、賭博行為にあたってしまうから、という理由です。そのために法律上、賞金を出すためにはスポンサーから集めたお金から出すしかありませんでした。この結果、eスポーツ先進国だった日本が、今では世界的に見れば一部のゲームタイトル以外は、競技に使われるものとして残していくのが難しい状況になっています。今年9月に中国で行われるアジア競技大会でもeスポーツが入るんですが、そのタイトルのほとんどは中国の企業「テンセント」が占めることになっています。10年前は、日本が世界の中でも前の方を走っていたのに、法の規制、解釈、ミスを許容できない風潮のために、なかなか難しくなってきました。
新たな競技が盛り上がるためには、賞金額を増やし、大会規模を大きくしていくことが必須だった。ところが参加費を賞金にあてられず、必死に集めたスポンサーも大会規模が小さければ、自然と金額も小さくなる。結果、賞金は増えず、規模も拡大しないという悪循環に陥っている最中に、大きな資金力を持つ中国企業に取って代わられた、という構図だ。
世界ではOK、日本ではNG。ベッティングの世界では1つ、大きな矛盾が生じている。それが太田氏の指摘する「日本のスポーツが賭けの対象になっているのに、日本にお金が落ちない」という点だ。世界のベッティング市場では、その対象を自国に留めることなく、他国の競技でも自由に設定している。日本のプロ野球、サッカーのJリーグも人気で、規模はスポーツによっては数兆円にもなっているとも言われている。
太田氏 日本に居住する人が海外のベッティングをすると違法賭博になってアウトですが、海外の合法国に居住する人たちが日本のスポーツを対象にすると、これは合法です。実際、日本のスポーツを対象にしたベッティングの売り上げは全部で数兆円にものぼるとも言われています。それなのに、日本に対しては税金としても1円も支払われていない。これは本来、取れるはずの税収を取れていないということ。我々は無料でベッティングの機会を提供しているだけで、その後の収益はベッティング会社だったり、予想に使われるデータ会社だったりに入る。この状況を正常に戻していく、外貨を稼いでいくということに対して、検討に入っていく段階だと思っています。
ベッティングの対象になることで収益が得られれば、その効果は絶大だ。日本にも、スポーツのデータを扱う会社はあるが、そこの顧客のほとんどはプロ野球の球団や、サッカーのクラブチーム。B to Bだ。ところがこの球団、クラブチームは絶大な知名度を誇る割に、事業規模は決して大きくない。体力がない分、データを買う金額も高くならず、データ会社もなかなか潤っていない。
太田氏 大きい球団であっても、経済界に入ると中小企業に値する規模なんですよね。こんなに知名度がある中小企業があるのか、というくらい。だからデータも高く買えない。ところがここにベッティングが入ると革命が起きます。データ会社も売り先として、賭けを楽しむコンシューマーが増えるんです。公営競技を見るとわかりやすいですが、過去の戦績、対戦など、いろいろなものを見るんですよ。なんとなくスポーツを見ていた人たちが、過去を遡って見ていく。それまで勝ち負けしか見ていなかったのに、インサイトに入っていくようになる。今までスポーツが好きだった人はもちろん、これから好きになる人も、ものすごくスポーツを見るきっかけになるんです。
ベッティングの対象になるからこそ、今までは限られた世界にだけ使われていたデータが、広く求められるようになり、事業規模が大きくなる。原資があれば、さらに詳細な、別の切り口のデータを作れるようになり、スポーツの楽しみ方の幅も増えるという好循環が生まれる。
マイナースポーツにとっても光明が差す。放映権だ。今まで放送されるものは人気の高いメジャースポーツばかりで、放映権が高騰したとしても、テレビ局や配信プラットフォームはその権利に多額を支払ってきた。ところがマイナースポーツでも、ベッティングできるとなれば、途端に状況が変わる。
太田氏 放映権が高い順に並べていくと、やはり世界最高峰のものが高いんですよ。よりよいものが見たいからです。サッカーならプレミアリーグ、野球ならMLB。ところがここにベッティングを1つかますことで、あまり試合のレベルが重要じゃなくなるんですよ。純粋に世界最高峰のプレーを見たい人は当然残ります。そのスポーツを見ない大多数の人たちは、レベルの高さ以上に、そこの中の駆け引き、自分が応援しているチームが勝った・負けた、さらに細かいスタッツを見ることが重要になってくるので、そんなに競技レベルの差は重要じゃないんです。
大事なのは、自分の予想が当たり、賭けた金が増えるかどうか。この点については世界最高峰のプレーである必要がない。年俸数十億円というプレイヤーが揃う世界トップリーグの試合と、年俸数百万円というプレイヤーによるマイナーリーグ。これがベッティングの世界では同価値になるから不思議だ。
太田氏 わかりやすいのは競馬ですよね。JRAならその日の第11レースがメインで、賞金も高いですが、地方競馬の高知競馬などは、その第11レースが終わった後に、違うレースが始まるようにしています。必ずしも馬が速いかどうかが大事なのではなく、ビジネスとしてお客様が喜んでくれる時間帯だったり、見せ方・演出をすることが重要です。
「スポーツベッティング」と聞けば、集まった金は全てスポーツ界に還元されるイメージも持たれやすいが、太田氏の考えはそうではない。広く日本の社会に還元されるべきだという。社会あってのスポーツ。それがベースだ。
太田氏 私の考えではありますが、集まった金はスポーツ以外に使うべきだと声高に言っていきたいと思っています。まだまだオリンピックに出てもマイナーなスポーツは、自己負担金で海外遠征に行くような実態もあります。フェンシングでもそうです。そういう団体からすれば、自分たちにもお金を還元してください、という思いも当然あると思います。ただスポーツは社会の上に成り立っているし、成り立つべきだと考えています。我々がベッティングの対象になって稼ぐことによって、国の財源に使われることが大事だと思っています。イメージづくりとか、そういうことではなく、本当にそう思っています。スポーツ振興くじ(totoなど)は年間1000億円くらいの売り上げで、そのうち50%が購入者に戻るので50%の500億円が運営、国に入ります。日本のスポーツが海外で数兆円のベッティングの対象になっていることを考えると、10分の1と考えても数千億円の規模が作れます。これが税収として入り、再分配をすることで世の中のお役に立てるんじゃないかと思います。
国内でベッティングを導入するためには、各種スポーツ団体の協力は必須で、八百長に対するケアも必要だ。また参加者に対してはギャンブルへの依存などにも対策も考えなくてはいけない。その上でも、日本でのスポーツベッティングが実現し、そこで得られる収益は、スポーツ界のみならず、日本全体を潤す力がある。実現に向けてはさまざまなハードルも考えられるが、まずはステークホルダー間での議論を深めていく必要があるだろう。