「多様性」が叫ばれる一方、SNSを中心に生じてしまいがちな分断。そんな中、『「みんな違ってみんないい」のか? ─相対主義と普遍主義の問題』(ちくまプリマー新書)が話題となっている。
【映像】"人それぞれは"考えない言い訳?多様性の時代"正しさ"とはどう作るべきか
金子みすゞによる有名な詩『「わたしと小鳥とすずと」』を念頭にタイトルを付けたという山口裕之・徳島大学教授(哲学)は「要するに、“正しさ”は“人それぞれ”でも“真実は一つ”でもない。一言で言えば、それはみんな作っていくものだ」と話す。
「人に迷惑かけない問題や、両立可能な問題については“人それぞれ”で結構だが、そんなことばかりじゃない。ある人の利益が、思いがけず他の人の不利益になるといったことがあるわけだ。あるいは原発や安全保障の問題など、国全体で一つの方針を決めていかなきゃいけないときにも、“人それぞれ”と言うわけにはいかない。そういう時にはしっかり話し合い、合意して結論を出していかないといけない。その意味で、“人それぞれ”はもうやめよう、ということだ」。
執筆の背景には、大学という現場で感じた学生たちのある“態度”があったという。
「大学で哲学などを教えて20年近くになるが、学生さんたちはいつも口を揃えて“人それぞれだ”と言う。授業で選択的夫婦別性のような主題についてレポートを書かせると、いつも結論が“人それぞれ”みたいになる。“人のことはええから、君はどう考えるの?”と尋ねると、ウッと詰まる。例えば臓器移植の問題についてだと、“人それぞれ”と言いながらも、ほぼ全員が“賛成”だと答える。でも、“なんで?”と聞くと“ええっ…”と詰まる。要するに、ちょっとかっこいいこと言っておいて、でも考えないという言い訳として、“人それぞれ”という言葉が使われていると思う」。
山口教授は、こうした“態度”が権力者の考えが通りやすい状況を生み出していると指摘する。
「“正しさ”は“人それぞれ”だ、と言っていると、意見が対立したときにどちらが正しいかを決められなくなる。そして決めようとすると、罵り合いになる。つまり罵り合いというのは、“人それぞれ”の裏返しだと思う。そして、その間に権力を持った人が“こうだ”と決める。異論があっても気にしない、話を聞かない。はぐらかす、ごまかす、最後はキレる。そういうことになってしまいがちだということだ」。
一方で、“客観的で正しい答え”として科学を持ち出すことの危険性についても言及している。
「“科学者に聞けば正解を教えてくれる”というような発想があると思うし、実際に日本学術会議や政府の審議会などを通して学者の代表が意見を述べている。ところが科学者も実は一枚岩ではないし、何が正しいのかを実験し、議論し、決めていく営みの現在進行形で、“これは正しいぞ”という合意が生まれ、定説になるまでにはまだ時間がかかるということもある。
だからその段階で科学者に聞いたとしても、自分が正しいと思っている仮説を教えてくれることはあっても、必ずしもそれが科学界の定説にはなっていないということもある。逆に言えば、自分の主張に都合の良い仮説を持った科学者を探してくることもできる。トランプ元大統領が“地球温暖化は嘘だ”と言うために人を連れてきたのも、そういうことだ」。
■「考えを変えることは成長であって恥ではない」
ではどうすれば良いのか。山口教授は「理想的だが」として、次のように提案する。
「原発の問題をどう考えるか、という時に、再稼働に賛成の人たちは例えば電気代など、経済的な問題があると考えている。反対の人たちは、例えば事故が起きた際の放射性物質の危険性の問題があると考えている。つまり、目的の部分が食い違っている。物を考える時、人は自分の目的しか見えていない。だから話し合う時には、なんのためにやっているのか、というところを聞いていく。そうすると、少し考え方が広がるということがあると思う」。
対面ではないSNS上の論争についてはどのように捉えればいいのか。
「相手が目の前にいる場合、怖い、殴られたら嫌だと思う。でも、SNSだとそういう心配がいらないから、ついついその場の勢いで投稿しまう。感情的にならず、5秒間息を吸ってから投稿したり、5分間経ってから投稿したりする、あるいは相手の言うことをまず聞こうというところから始めたらどうだろうか。
そもそも国葬の問題など、僕らがSNSでいくら議論したところで、政府はほぼ影響を受けないというところもある。政治家の側も、正直に説明するということだ。Twitter上では弔問外交が、政教分離が、といった議論があるが、岸田さんは参考にもしていないのではないか。
とはいえ、岸田さんが“反対する人もいるが、弔問外交の利益を考えたらやるんだ”と正直に説明すれば、反対派は納得しないかもしれないが、少なくとも蔑ろにされたとは思わないかもしれない。その意味では、逃げたり隠れたりごまかしたりするのが一番いかん。政治家の言葉が貧困というのもよろしくない」。
健全な議論を旨とする『ABEMA Prime』のスタジオからは様々な意見が出た。
フリーアナウンサーの柴田阿弥は「意見が違う人同士だと最初からバチバチだということがあるし、殴り合ってはいないけれど大乱闘みたいな感じで時間が終わるという“惨劇”もよく起こる(笑)。そういう様子を見る度に、SNS上で揉めていてもリアルで話し合えば分かり合えるというのは本当だろうかと思うし、人の意見を変えさせるのは無理なんじゃないかと思う」と苦笑。
これに対し、討論を取り仕切るMCのテレビ朝日・平石直之アナウンサーは「番組の中で考えを変えていっていい。むしろそれを良しとしないと、話をしている意味がない。自分自身も柔軟じゃないといけないと思っているので、“平石、言っていることが昨日と違うじゃん”と言われて構わない」と話すと、カンニング竹山は「“こいつ2年前はこういうツイートをしてたのに”という指摘がよくされるが、2年前から変わらずにいる人っている?という。意見も変わるということを認め合うということがすごく大事だと思う」と応じた。
山口教授は「やはり、“意見を変えるのは恥ずかしいことではない”と思うことだ。よく人のことを“ぶれた”と悪く言うことがあるが、“知らなかった、そうだったのか”と考えを変えることは成長であって恥ではない。みんながそういうふうに思ってくれるといいのだが…」と話していた。(『ABEMA Prime』より)
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