3月2日、プロレスリング・ノアの原田大輔が記者会見を行い、3.9後楽園ホール大会で現役引退することを発表した。

 原田は昨年夏、ノアが定期的に行っている健診でMRI検査を行ったところ頚椎環軸椎亜脱臼のケガが見つかったため8月27日から試合を欠場。さまざまな精密検査や治療を続けてきたが、回復の兆しが見られず、「これ以上試合によるダメージを受けた場合、最悪命にも関わる」と判断されドクターストップ。ノアと原田本人が話し合った結果、現役を引退することとなった。引退試合は3.9後楽園ホール大会で、デビュー戦の相手である小峠篤司と医師立ち会いのもと1分間のエキシビションマッチを開催する。

 原田はGHCジュニアヘビー級王座を通算5度獲得するなど、ノアジュニアの中心選手として活躍。年齢は36歳と、これからさらなる活躍が期待される中での引退は、ファンと原田本人にとってあまりにもショッキングな決定となった。この会見終了後、原田に引退が決まった今の心境を語ってもらった。

――今回、昨年夏に行なったノアの定期検診で頚椎環軸椎亜脱臼が判明し、「次に大きなダメージを受けたら命の危険がある」ということで引退が決まってしまったわけですが、記者会見で「自覚症状はまったくない」という発言を聞いて驚きました。

原田 本当に何もないんです。検査を受けたときも、検査結果を知らされて初めて診察を受けたときもジムで練習してから病院に行ったくらいだったので。まさかプロレスが続けられないような状態とは、まったく思っていませんでした。

――頚椎ヘルニアなんかだと手に痺れが出たりしますけど、そういったこともなく?

原田 ありません。だから「ホントに引退するのかな?」って自分が思うくらいで。

――今回の検査時だけじゃなくて、以前も首のケガとかはなかったんですか?

原田 レスラーやってると、体のどこかが痛いことはしょっちゅうですけど、首に関してはケガらしいケガはなかったんですよ。だから、いつケガしたのかもわからない状態なんです。

――では、判明したのが半年前なだけで、本当はもっと前からそういう状態だったかもしれない、と。

原田 そうなんです。だから「どんな痛みでもちゃんと病院に行っておけば良かった」という後悔がありますね。レスラーって、ホントに病院に行かないんで。みんな「時間がない」とか言い訳を作ってぜんぜん行かないじゃないですか。今は、すべてのレスラーに「ケガしたら絶対に病院に行け」って言いたいですね。「俺みたいになるな」って。

――症状がないなかで引退という現実を受け入れるのは、かなり難しかったと思うんですが。

原田 正直言うと、何も受け入れられてないです。今でもプロレスは続けたいんですよ。でも、生きるか死ぬかと言われたら、受け入れざるをえない。「これもあんたの人生やから」ってオカンに言われて。17年間、先日引退された武藤(敬司)さんやNOSAWA(論外)さんに比べたら長くはないですけど、ここでリングを降りるのも運命だったのかなって。……ただ、続けたかったですね。

――一方で自覚症状がない中、命に関わるようなケガを見つけてもらえたという側面もあるわけですよね。

原田 それはもう感謝です。命を救ってくださったということに関しては、ノアにも病院の先生たちにも感謝しかないですね。

――このところプロレス界では数年周期で大きな事故が起こってしまっていますしね。

原田 そうですね。何か起こったあとでは遅いですし、さっきも言いましたけど、だからこそプロレスラーには「すぐに病院に行け」って言いたいですね。いま、これを言って説得力があるのはボクくらいかなって。プロレスラーは超人ですけど人間なんで。治せるうちに治せば、ボクみたいにつらい思いをしないですみますし。いちばんは応援してくださるファンのみなさんがつらいと思うので。そういうことを少しでもなくすために、「病院に行ってくれ」「検査を受けてくれ」って思いますね。

――原田選手は欠場中もSNSでの発信を続けられていましたが、そのリプライにはファンからの「復帰待ってます」みたいな書き込みがたくさんあったと思います。どんな思いでそれを読んでいましたか?

原田 いや「復帰するよ!」って、昨日までずっとその気持ちでした。ドームが終わって最初のツイートで「解説席にいる場合じゃない」みたいなことを書いたときも復帰するつもりでいましたし。実際はその時点で引退は決まっていたんですが、最後まで復帰はあきらめたくなかったです。ファンの方々の声はうれしかったですし「絶対に応えたい」という気持ちはずっとあったんですけど。それがかなわなくなった今、「復帰できなくてすみません」という言葉しか出てこないですね。

――今後も治療や定期的な検査は続けられると思いますけど、もし快方に向かったら、他団体を含めて現役復帰もありえますか?

原田 ないんじゃないですかね。ボクにとって「プロレスをやる場所はノア」という気持ちなので。3月9日が終わったら、もうプロレスはやらないと思います。もちろんやりたいんですけど、中途半端な気持ちでできることではないし、数年離れて戻ってこれるような甘い団体じゃないと思うので。ノアでやっていくためには相当な覚悟が必要で、それだけのレベルも求められるので、復帰はないと思います。

――3月9日の後楽園ホール大会で、医師立ち会いのもと小峠篤司選手と1分間の引退エキシビションマッチを行うことになりましたが、引退式や10カウントゴングをやらないと決めた理由はなんだったんですか?

原田 8月にケガが見つかってから欠場中、復帰を目指しながらも「どんな形でもいいから、もう一回だけ試合がしたい」と思っていたんですよ。だから、エキシビションとはいえ、最後に試合をやらせてもらえる以上、それ以上のことは求めませんでしたね。それに10カウントゴングって、けっこう寂しくなるじゃないですか。最後はやっぱり「ドカーン」と明るく終わりたかったので。

――原田さんにとってプロレスラーとしての活躍が夢の実現だったと思いますけど、リングを降りることが決まって、いまの夢はなんですか?

原田 生きること(キッパリ)。生きてこそ、だと思います。「次に何がしたいですか?」と聞かれたらプロレスしかないんですよ。だけれども、やっぱり今回ノアと医療チームに残していただいた命を大事にしていきたいな、というのがいちばんですね。

――では、17年間のプロレスラー現役生活でいちばんの思い出は?

原田 難しいなぁ、いっぱいありますね。雪崩式片山ジャーマンスープレックスホールドをやったということですかね。

――コーナー最上段から小峠選手をジャーマンで投げて、そのままブリッジで固めてフォール勝ちした技ですね。あの映像はずっと残るでしょうから、自分があのリングにいた証ですよね。

原田 あとニーアッパーをデビューして次の年くらいから使い始めて、ノアに上がってからも使ってるんですけど。その後、いろんな人たちが使い始めて、今でこそ世界中に使い手がいますけど、「あれは原田オリジナル」だぞって言いたいですね(笑)。だから雪崩式片山ジャーマンスープレックスやニーアッパーという技を残せたかなと思います。

――武藤さんがムーンサルトプレスをやり続けて膝を悪くしたと同じように、原田選手はジャーマンをやり続けて首を痛めたわけではないんですか?

原田 これはボクの勝手な見解ですけど、今回見つかったケガの部分とジャーマンで衝撃を受ける部分は違うと思うんですよ。まあ、もちろん「絶対に違う」とは言えなくて、もしかしたらそれも原因のひとつなのかもしれないですけど。デビューしてからずっとフィニッシュホールドを変えずに、ジャーマンを使い続けたのは自慢したいなと思いますね。

――最後の相手は、デビュー戦の相手でもある小峠選手になりましたけど、やはり自分のレスラー人生の最後を表現できる相手ですか?

原田 いろんなことがありすぎて、1分間でそれを見せるのがもしかしたらいちばん難しい相手かもしれませねん。でも、その相手と1分間でどれだけのものが見せられるかっていうのが、最後の自分に対する課題かなと思います。

――では、3月9日のラストマッチに向けて、ファンへのメッセージをお願いします。

原田 2006年に大阪プロレスでデビューして、2013年にノアに入団して、会場やABEMA、WRESTLE UNIVERSEを通じてたくさんの人に試合を観ていただき、本当にうれしかったです。最後はしっかりとプロレスラーとしてリングを降りたいと思っていますので、最後までドカーンと応援よろしくお願いします!

(取材・文/堀江ガンツ)

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