紺野さんは「調べたにしても病名が確定診断されていなかったので、病気はわからないだろうと言われていた。夫と話し合いをして、“調べない”という方向で出産に挑んだ」と明かす。
出産後、医師からは「長い命ではないと思う」とも聞かされている。「あまり長く生きられない、話もできない、歩けないということは言われていた。ただ、子どもってわからない。医学上のものを覆してくれたり、それ以上に頑張って生きてくれる子もいる。短命であっても子どもが生き切ったと思うところまで、私は伴走していこうという思いでいた。苦しかったけれども、すごく楽しかった」。
子どもたちの存在が支えにもなっていたという。「障害児を育てるというのは、本当に綺麗事ではない。可愛いけれど、苦しくなる時もある。でも、笑顔を見ると“クヨクヨしてられない”“なんでこんなことで悩んでるんだろう”と救ってもらった部分が大きい。この子たちがいなければ今の私の人生はなかったと思っている」と語った。
「社会の目は冷たい」
