■自虐的な言葉はどこまで許せる?

自虐はやめて!ネットの声
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 自分が嫌いな人のコミュニケーションとしてよく出てくるのが自虐。自分のコンプレックスや悩みなどを吐き出しているだけとも捉えられる一方で、それを聞いている周囲の人々にも、何かしらの影響が出ている。フリーアナウンサーの柴田阿弥は「自虐はいじりのコミュニケーションの自分版」という表現をした。「本当は高度なコミュニケーション技術で、お笑い芸人のプロがやるようなものだから、全然誰もうまく処理できない。ネガティブな言葉は呪いだし、他人はネガティブな言葉を投げてもいいゴミ箱ではない。私は大人として、ネガティブな言葉を吐いてもいいけど分量は気をつけないといけない。それはマナーだと思う。ずっと投げ続けられるとやはり疲れてしまう」と、言葉を扱うプロとして自虐の難しさを説いた。

 これに横川氏は「そういうことを考えると、そもそも自虐が良くない。もともとは『そうやって自分を悪く見せることで、自分の肯定感が下がるからやめよう』という話だったのが、いつの間にか『聞いている人が不快だからやめなさい』という時代の流れになった。僕はそれが怖い。『私が不快だからお前の口を封じる』みたいなものじゃないか。それを正義というのも、暴力的だと個人的には思っている」と、懸念も示した。

 ジャーナリストの佐々木俊尚氏は「あくまでバランスの話だ」と指摘。「音声プラットフォームで毎日配信しているが、自分の顔に子どもの頃からコンプレックスがあったと話をしたら、コメントで『でも軽い自己否定というのは自分のコンプレックスの癒しになる』と教えてくれた。自分の顔がハンサムじゃないと気にしているが、それを話したことでみんなが『そんなことないよ』と言ってくれると癒やされる、軽い癒やし」が自虐をきっかけに得られることもあると事例を紹介した。「自分のコンプレックスを笑いに変えることによって解消につながる、そういう心理的な効果はたしかにある。かといって、ずっとそれを言い続けるとやはりウザいので、ちょっと言うくらいに抑えておくと人間関係も平穏に終わる」と提案した。

 一連の話を受けて、横川氏は「僕が一番大事にしてほしいことは、自分を嫌いなことと自分を責めることは分けて考えること」と強調した。「別に嫌いだったら嫌いのままでいいのに、嫌いな自分が悪いとか、好きになれない自分が悪いと思っちゃうと不幸なことになる。『自己肯定』ではなくて『自己受容』くらいでいい」。
(『ABEMA Prime』より)

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