そして2006年、新田氏が中心となって「袴田巌再審支援委員会」が発足した。袴田さんの息子世代で、当初は事件のことなど知らなかった新田氏をそこまで動かしたものは“先輩ボクサーの凄み”だった。
袴田さんについて「年間で19試合戦うというのは、ちょっと想像がつかない。多分、ボクシングが袴田さんの中で本当にすべて、すごく大きな存在だった。ボクサーはそういう人が多いが、その中でも特に、本当に血肉というか魂というかというところにボクシングがあったのかなと思う」と語った。
さらに、姉・ひで子さんの存在も大きかった。「もうケタケタ笑って、笑い飛ばして『私はまだ戦うよ』と戦う秀子さんの姿は、本当に何回倒されてもまた立ち上がる、ボクサーよりもボクサーだ」。
最高裁の再審請求棄却も諦めずファイティングポーズを取る二人に、同じボクサーとして逆に「励まされてきた」という。今回、袴田さんが後楽園ホールに戻って来られたことは新田氏の支援の証でもあり、恩返しだった。
「協会として、袴田さんがもし試合を観に行きたいと言った時には、(今後も)ご招待するということを我々は考えている」(新田氏)
なお来場当日、袴田さんの体調は悪くなかったそうだが、会見には参加したものの拘禁反応の影響で記者の質問に対する受け答えは難しく、姉・ひで子さんは「精神状態に波がある」と話していたという。
(『ABEMA的ニュースショー』より)
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