■がんで子どもを亡くした母たちの思い

【写真・画像】小児がんと闘う9歳の少女、日本では“救えない“幼い命…医師の苦悩と奮闘 「1日でも早く、国内で最新の治療を」 8枚目
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会合の様子

 高橋医師は、がんで子どもを亡くした母親たちの会合に招かれた。4人全員、高橋医師が主治医を務めた子どもたちだった。

「亡くなってしまって辛い気持ちもあるし、治りたかった気持ちもあると思うけど、こうして先生やお母さんたちとお会いする機会を作って、小児がん(治療)に対して前向きなことができればと思い、企画をした」(神経芽腫で亡くなった慶治くん・当時2歳の母)

 新しい治療法を少しでも早く日本で受けられるようにしてほしい。そんな思いを伝えるための会。高橋医師が参加するのは初めてだった。

「なかなか日本で承認されないタイミング。一部の病院で治験が行われていた時期もあったが、それも終わってしまったというタイミングだった。高橋先生も海外に行って、使えるよう活動をされていたと思うが、焦燥感を感じたときもあった」(神経芽腫で亡くなった音ちゃん・当時6歳の母)

「症例が少なかったり、小児がん自体が治験の結果を出すのに時間がかかったり。もう少し早くなるといい。いち患者としては、研究が早く進んで、より良くなるように期待している」(脳腫瘍で亡くなった惇人くん・当時5歳の母)

「今までこういった会に参加したことがなかったが、それは忙しいからではなくて、私が最終責任者で、亡くなってしまった患者さんのご家族に申し訳ない気持ちが強い。責められてもおかしくない、でも責められたら心が折れてしまう。なかなか勇気が出なくて、今まで参加できなかった」(高橋医師)

「アメリカにも行かせてもらって、治験も完遂したが、その半年後くらいに再発してしまった。でも教授が話されていたようなことはなくて…感謝している」(神経芽腫で亡くなった史織ちゃん・当時8歳の母)

■治療に立ちはだかる大きな壁
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