■両親の価値観、自分が選んだ道

【写真・画像】車中で暮らす26歳の軽バンガール、定職と家を手放したZ世代の葛藤…「100%は応援できない」両親とのすれ違いも 8枚目
拡大する

眞理さんと両親

 眞理さんが育った埼玉県の実家には、現在両親が暮らしている。両親ともに公務員の家庭で育ち、学習塾のほか、テニスや水泳など、幼い頃から習い事に時間を費やしてきた。両親は、今の眞理さんの生き方をどう受け止めているのか。

「100パーセント応援ができない母親がいる。“普通”に大学を卒業して、“普通”に会社に勤めるんだろうなって思っていた。『え、だめなの』『同じところで“みんな”仕事してるよ』って」(眞理さんの母)

「ちゃんとした会社に入って、社会保険料を半分会社に払ってもらっているという形での生き方をしてないと、後がかなり厳しくなるというのが実際の日本の今の社会だし。やっぱり最初に勤めた会社をどれだけ長く務められるかというので、我慢できるとか適性があるとか、コミュニケーション能力があるかとかはすごく大きく見るから。最初の会社はちゃんと10年ぐらいは勤めてもらいたかった。そういう意味ではがっかり」(眞理さんの父)

 定住せず、フリーランスとして生きる眞理さん。一方、父親は公務員への道を強く勧めてきた。「もちろん公務員は安心。ついでに結婚相手も公務員がよかった。職場の中に当然、自分の娘と同じくらいの子がいっぱい入ってくるが、彼女たち彼らたちを見ていて、やっぱり良い人生を送っているから、こういう生き方が一番幸せなのかな」。

 しかし、この日、母親が意外なことを口にした。「今は“うらやましい”という部分はある。好きなところで仕事ができるし、でもそれも眞理が自分で勉強しながら、パソコン関係で仕事ができるようになって、自分で勉強しながらやってこられたのは、とても頑張っていると思う。だからこそ、それを生かして同じ場所じゃなくて違うところでも自由に仕事ができるようになってきているので、 それはすごいなって親ながら思う」。

 両親の人生観に違和感を抱き続けてきた眞理さんにとっては、意外な言葉だったという。「『うらやましいと思ってるんだ!』と思って。小さい頃の記憶というか、あまりプラスには思えなかったような記憶が自分の中には残っていて。ここ最近、仲良くなったのと、小さい頃の記憶は自分の中では別物。今回親サイドからの話を聞いたり、自分がちょっと昔に比べて大人になってきて、親ではないけど、大人から見た子どもという視点がちょっと身についてきたから」。

 コロナ禍で社会人になり、不安定なこの時代を生きる眞理さんだが、決して悲観はしていない。

「30〜40年とか40~50年前とかに生まれていたら、自分の社会不適合さに絶望して、いろいろとうまくいってないような気がしていて。今、たまたまこういう時代に生まれて、ちょうど私が20歳とかでコロナ禍になって、もっと自由に生きるみたいな、働き方の流れがガラッと変わった時代だったなと思って。

それがちょうど20歳ぐらいの年代に当たったから、今こうやって生きられているなって。良い時代に生まれたなとか思い込んで、楽しく生きていった方が楽しいよな。大変な時代とは言われているが、私にとってはラッキーだったのかな」

【写真・画像】車中で暮らす26歳の軽バンガール、定職と家を手放したZ世代の葛藤…「100%は応援できない」両親とのすれ違いも 9枚目
拡大する

眞理さん

「いろいろ他人のせいにしていたけど、親のせいとか、周りの友達に恵まれなかったせいとか、良い大学に行けなかったせいとか。今この生活は完全に自分で選択しているから、この先何か不都合なことがあっても、自分がこの生活を選んだ結果そうなったのかなと思うし、自分が選んだ選択を正解にする、正解だと思って生きていく方が幸せかな」

 「ありのまま」を受け入れた、佐藤眞理さん・26歳。軽バンに乗って、自分が選んだ道を進み続ける──。

(九州朝日放送制作 テレメンタリー『軽バンガール ~私がこの道を進むワケ~』より)

この記事の画像一覧
【映像】日本では救えない ~小児がん医師の苦悩~
【映像】日本では救えない ~小児がん医師の苦悩~
【映像】わが子は誉れ ~老いてゆく男の子と家族の16年~
【映像】わが子は誉れ ~老いてゆく男の子と家族の16年~
君よ、大樹たれ ~合唱部の先生は家族性ALS~
君よ、大樹たれ ~合唱部の先生は家族性ALS~
この記事の写真をみる(9枚)