そんな池村家の「家宝」が、地下タンクで保管されている、くさや汁だ。「今日のタラは大きいので、塩を足して、もうちょっと塩度を足す。感覚で1〜2杯くらい。内臓のエラとか血はタレに入れない。肉と骨だけで、液も臭くなっちゃう可能性は排除する」。くさや汁に一晩漬けて発酵した魚は、入念に水で3回洗い、一枚一枚丁寧に並べてから、乾燥室で約1日乾燥させる。使用後のくさや汁は、毎回タンクに戻し、また発酵させる。

 池村さんは「これからも愛し続ければ、まだまだ伝統は続く」と願うが、このところ過去最大の危機に瀕しているという。「ここ最近どんどん廃業していて、今もう4軒しかない。僕が今、一番若くて40代。次に若い人が50代。その次に若い人が60代だ」。

 最盛期は100以上あったという新島のくさや工場は、今や4軒のみ。独特の臭いを敬遠して、「自宅で焼けない」などと買う人も減り、取り扱う鮮魚店も少なくなる一方だという。

 他の加工工場にも訪れた。明治34年創業の菊孫商店のスタッフは「平均年齢80歳で、79歳が一番若い」と明かす。「昔の人は“天然の抗生物質”と言って、くさや汁をつけたりなめたりしていた。おばあちゃんとか傷が治らないが、赤ちゃん並みに治る」。4代目の菊池一枝さん(80)は「(跡継ぎは)娘にかかっている。(孫は)男の子がいるが、本人任せではないか」と語る。

くさや作りの過酷さ
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