そもそも日産とホンダは、社風からものづくりの考え方まで、根本的に違うという。ホンダの創業者・本田宗一郎氏と仕事をした最後の世代で、大ヒットとなった5代目シビックのデザイン開発に携わった元デザイナーの藤井謙治氏は「ホンダはホンダで同じことをしてもダメだから、違うことをやるしかないと、本田宗一郎からも言われた。マネしたら怒られる」と回想する。
藤井氏には宗一郎氏との思い出がある。「(新車種の)開発に私も携わっていた。そのクレイモデル(粘土模型)のリアコンビ(テールランプ)が、シルビア(日産の車種)にそっくりというか同じようだった。それを(宗一郎氏が)見た途端、怒り始めて、午前中にデザイン室に来て、夕方まで怒っていた。『75歳でこのエネルギーはなんなんだろう』。それが一番の宗一郎氏の印象。優しいおじいちゃんではなかった」。
そこには、宗一郎氏のこだわりがあった。「選ばれるものを作らないと。同じものを作っていたら、(日産の方が)絶対営業力もあるだろうし、製造設備もいいだろうし、売れるわけがない。とにかく価値あるものを作らないとダメだ、その価値は同じじゃダメだ。デザインを描いても『これ新しいのか?』と聞かれる。とにかく今までにない新しいものを作らないと。その次に『これは何に役立つんだ?』と聞かれる。その2つは欠かせなかった」と、藤井氏は振り返る。
経営統合における背景
