■「石破総理の『思い出作りのための作文』に使わないで」
総理談話とは、国政の重要事項に関する総理の公式見解だ。国家・内閣の節目や大きな決断の際に示されるもので、閣議決定を経て発表される。これまで“戦後○年”の総理談話としては、戦後50年(1995年)の村山談話、60年(2005年)の小泉談話、70年(2015年)の安倍談話の3度発出されてきた。
麗澤大学の八木秀次教授は、「戦後80年談話は愚の骨頂」だと考えている。すでに70年談話で区切りとなり、近隣諸国で沈静化している歴史認識問題が再燃する可能性があるため、“寝た子を起こす”のは愚策だと主張する。また、そもそも10年ごとに出す必要性はないとして、新たな談話は外交リスクが高く、特に中韓に「歴史戦」の材料を与えるだけだと説明する。
そして石破総理の対応について、「閣議決定が必要な『総理談話』を見送っても、『内閣総理大臣の談話』は出したい。『の』が入ることで、個人が出したという意味合いだが、対外的には『内閣総理大臣が公式に歴史認識を発表した』と見られる。『の』が入っても入らなくても、政府の公式見解になり、外交上のリスクが高すぎる」と批判する。
元経産官僚の門ひろこ氏は、「個人のメッセージにすることで、フリーハンドになってしまう」と指摘する。「戦後70年談話を作るプロセスは、ガラス細工のようだった。アジア諸国に思いをはせつつ、国内のあらゆる思いを調整した。それをリパッケージして、石破総理の『思い出作りのための作文』に使わないでほしい」。
そして、「唯一意味があるとすれば、70年談話の内容に、何かを付け加える。10年間の安全保障の変化を受けて、『日本は過去の過ちは犯さないが、アジア太平洋地域の安全保障の担い手として覚悟を示す』とするならば意味がある。過去の戦争の検証は、すでに70年談話でやりきっているはずだ」と語った。
アクティビスト個人投資家の田端信太郎氏は「日本の官僚が“外交の継続性”に配慮してきたことに価値はある。ただ、韓国や米トランプ大統領を見ていたら、政権が変われば歴史認識も変わることが当たり前になっている。日本はバカ正直に、外交の継続性や連続性にこだわりすぎているのではないか」と問う。
■「80年談話を出さないのは損!」
