■医療的ケア児の社会との繋がりは 一人暮らしはどう実現?
医療的ケア児との外出について、宏美さんは「1人で連れて出るのはすごくハードルが高い」、イエローさんは「1歳なのでベビーカーを使って移動しているが、重たい機器などを積んでいる。何度か転倒しそうになって、呼吸器の水が入って真っ青になってしまったことがこの2カ月の間にあった。外に出ること自体が命がけの状態」と、難しさを話す。
野田氏は「私も退院時に『余命がいつかわからない』と言われたので、生きている間にいろいろな思い出を作ろうと、酸素ボンベを担いであちこちに行った」とした上で、「呼吸器を付けているのを見ると、一般の人は集中治療室のイメージが強いのでぎょっとすると思うが、目に慣れてもらうことが大事だ。外との繋がりとしては、地域の幼稚園、保育園から始まって、小学校、中学校に当たり前に行けるように整備をすること。子どもとっての一番大事な社会との関わりは教育の場なので、そこに親の介護・付き添いなしで行けるのがこの法律のゴールだ」と語る。
そんな中、宏美さんはゆうなさんの“一人暮らし”を考えているという。「前までは私が亡くなったら施設に入れることを考えていたが、私の入院をきっかけに本人が『自分らしく生きたい』と。そのためにはどうしたらいいか、『あんたの生活をそのまま維持するためには、もう1人暮らししかないんちゃうか』と言ったら、『ほな1人暮らしするわ』と返ってきた。医療が必要な彼女ではなく、彼女を主として考えた時、“人としてはそうだろうな”と思って動き出し、重度訪問介護を使ってヘルパーさんに来てもらい始めた。そこもマンパワーが足りなかったり、家の契約のハードルがあったりするが、人と家さえ見つかればできる。できない理由は今のところ見つからないので、“やりたいことを、存分に生きようよ”を目標に動いている」と明かす。
これを受け、野田氏は「医療的ケア児のためのグループホームやシェアハウスはほとんどないので、次の法改正では作っていこうと。私自身、歳をとってから生んで早くお別れしなければいけない。医療的ケア児という“新参者”は一番大変な分、全ての障害者も世話ができると思う。そういうマルチなグループホームを作れるよう、法律の中で取り組んでいきたい」と述べた。(『ABEMA Prime』より)
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