「人道主義がどういう経過でどんな犠牲があって生まれてきたのか」
この写真は、アメリカが間に入る形での停戦協議が決まった際に撮られた一枚だ。
喜田記者は「この女性は中南部のザポリージャからリビウに来られた方で、実は50代の弟さんがずっと占領地で家族が帰ってくるのを待っていたが、去年亡くなってしまったという。米露の交渉については『領土の譲歩なんて考えられない』『今もウクライナ軍によって解放されるのを待ってる人が占領地にいっぱいいる』と話していた」と説明した。
ただし、今の状況は非常に複雑だという。
喜田記者は「同じ時期に会った南部から来られた別の避難民の方は夫が家族をリビウに届けると同時に、志願して軍に入って戦闘地で戦っていると話した。その方は『領土を譲ることは許されないが、これ以上死者を増やさないためであれば協議をするべき。停戦を重視すべきだ』と語った。領土とは単なる土地ではなく、人も住んでいる。そこから逃げてきた人がいて、全財産をそこに残している人もいる。こういう状況が政治協議における『領土の譲歩』という言葉だけでは見えにくくなる。しかも、協議が成立しなければ人はどんどん死んでいくという状況だ」と語った。
一連のリビウ取材を通して感じたこととして、喜田記者は「例えば今のトランプ政権のように、国益やビジネスを大事に考えて為政者同士で物事を決めてしまうという世界に移りつつある中で、人道主義がどういう経過でどんな犠牲があって生まれてきたのか。リビウの場合、占領された記憶やホロコーストの記憶だ。戦後大事にされてきた人道主義がどういう犠牲を払って生まれたのか、もう一度思い出さなきゃいけない」と述べた。
(朝日新聞/ABEMA)


