しかし1年後、攻守が逆転。菅政権はコロナの感染者数が下がらず、支持率が低迷。さらに総裁・衆院議員の任期が満了するなか、菅氏から「戦わない」「政治家とは言えない」とまで言われた岸田氏が挑戦状をたたきつけた。

 現職の総理総裁に同じ政党の仲間が挑むことは、負ければ「一族郎党」が干されることを意味する。岸田氏にとってはまさに政治生命を賭けた戦いだった。

 総裁選出馬会見で、岸田氏は勝負に出た。「幹事長の任期は1期1年(連続)3期までとする」と絶大な権力を誇っていた、二階俊博幹事長(当時)に矢を放った。

 当時二階氏は田中角栄をも超えて歴代最長となる5年以上、幹事長の座にいた。自民党において、党の金庫と選挙の公認権、つまり「カネ」と「人事」という生殺与奪を握る幹事長の権力は絶大だ。岸田氏は、菅・二階氏という権力の中枢にくさびを打ち、くすぶっていた不満という火元に見事に発火させた。

「戦わない男」最後に戦いを選び宰相の座を勝ち取る
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