右翼でも左翼でもない?社会の分断は「過激な変化」vs「穏健な変化」に…思想家・内田樹が指摘する日本の“異変”

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■「貧乏」と「貧乏臭い」は違う

平石氏 書かれた本の中では、豊かさの反対に「貧乏」という言葉を使いつつも、貧乏と貧乏臭さは違うし、かつての日本は貧乏だったけれど、貧乏臭くはなかったともおっしゃっています。

内田氏 1950年頃、僕が生まれた時の東京の下町は、戦争が終わってまだ5年目で本当に周りはまだ焼け野原。みんな貧乏でしたけども、でも貧乏臭くはなかった。貧乏だけど本当に助け合って暮らしていて、みんなお互いに食べ物も都合するし、着る物も都合するし、子どもも預かった。小さな路地裏の共同体が1つの家族みたいに助け合って暮らしていました。僕はそこで10歳ぐらいまで過ごしたんですけど、本当に居心地のいい共同体で、近所の子どもたちも、みんなもう兄弟のように仲良く暮らしていたわけです。

 それが1960年代、高度成長期に入って豊かになるにつれて、貧富の差が出始めました。地域共同体の中に貧富の差ができてくると、みんなその後、豊かになりはしましたが、早く豊かになる人と、なかなか豊かになれない人がいます。早く豊かになった人のところにはテレビや冷蔵庫、洗濯機が入っていった、そして家の周りをブロック塀で囲うようになってくるんです。

 前はふらふらっと遊びに行って「こんにちは」と入れたのが、「来たらダメ」と門前払いを食うようになりました。豊かさとともに貧富の経済格差ができたと同時に、共同体が割とあっけなく解体していったのを見て、その時に「貧乏臭くなったな」と思いました。確かに経済的に豊かにはなったけれど、心がすごく貧しくなった気がして、子ども心に「うーん、経済格差はよくない。みんな同じくらいがいいのに」と思っていましたね。

平石氏 世界の歴史を俯瞰し辿りながら、今思っていることを書き記されていることと思います。縦横無尽に行き来し整理される中、今の時代を捉える時に意識されていることはありますか。

■右翼、左翼の時代は終わり?求める「変化の速さ」で分断
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