■事件から26年、手帳に刻まれた遺族の日々
1999年11月13日、名古屋市西区のアパートで高羽さんの妻・奈美子さんが何者かに首を刃物で刺され殺害された。殺害された奈美子さんは当時32歳。当時2歳だった一人息子の航平さんも現場にいたが無事だった。
事件翌年の手帳。不動産会社で営業の仕事をしていた高羽さん。物件の下見や得意先との打ち合わせでスケジュールは埋め尽くされていた。
「当時、管理職だったので部下の日報はチェックするけど、自分では書かなくていいもの。だけど、書かないと自分があそこへ行ったのはいつだったろうとか、交通費の請求する時も記録がないと忘れてしまうので。もっと奈美子との記録が振り返られれば良かったんですけど。残念ながら26年、奈美子が出てこないので…」(高羽さん、以下同)
事件後、高羽さんは実家に戻り、航平さんと両親の4人で暮らし始めた。航平さんの学校行事や外出にはできるだけ、高羽さんが付き添うようにしていた。
「26年前は不安で不安で仕方がなかったですよね。こんな2歳の子を抱えて仕事を続けられるのだろうかとか、この子が中学校になったらグレるんじゃないかとか。無事その辺は通過して、大人になってもちゃんと無事に結婚できるかなぁと」
斜線が引かれているのは仕事が休みの日。書かれたスケジュールのほとんどが航平さんと一緒に過ごした記録だ。事件後の写真は、どれも航平さん一人。
「覚えてる?カードキングダム」(高羽さん、以下同)
「うん、覚えとるよ」(航平さん、以下同)
「東京のレアカードを売っている店まで行って買ってたんだっけ?覚えてない」
「買ってはなかったんじゃない?たしか。買ったんだっけ?」
「当時は母親がいないので、寂しい思いをしているかなと思って、それぐらいはしてやらないといけないかなと思ったりはしたと思う」(高羽さん)
「たまに学校を休んで、どこか旅行とかに連れてってくれたりしていたので。そういうところはすごく気を遣ってくれてたというか。できるだけ自分に寂しい思いをさせないようにしようというのはあったんじゃないかなと思う」(航平さん)
警察は当初、奈美子さんの交友関係を中心に捜査。高羽さんもたびたび聴取を受けた。
「『西署14時』というのは、航平に昼飯食わせて、そのあと昼寝させて、13時半ぐらいに家を出て、14時に西署という感じです」(高羽さん)
発生から10年が経った2009年。高羽さんは事件があった11月13日に“あること”を始めた。情報提供を呼びかけるチラシ配りだ。当時、殺人罪には15年の時効があり、高羽さんの事件も時効が5年後に迫っていた。
「遺族は家族を殺されて、時効までタイムリミットを考えて生きていくことはバランスが取れないので、時効は撤廃してもらって遺族も希望を持って生きられるような法律に変えていただきたい」(当時の高羽さん)
高羽さんは、事件後も現場のアパートを借り続けた。事件の解明に繋がる「何か」が残されているかもしれないと考えたからだ。
「これ(玄関マットの血痕)は犯人が犯行当時、手にけがをして、血がこぼれたものですね。当時は奈美子の血だと思っていましたけども、3年くらい経ってから法医学の先生に見てもらったら、これは犯人の血でしょうということがわかった。僕ら未解決事件の被害者は、知らないことがまだたくさんあるなと思って。犯人を捕まえて、ここで現場検証をしないと真実にたどり着けないかなと思いますので」
手帳からわかるのは、積極的にメディアの取材に応じてきたということ。「きっと犯人は私たちがテレビに出ることが気になって仕方ない。なので、最後の最後までしつこい親子だな、いつまでも諦めなくて、と思ってもらいたいなと思います」
2000年代初頭、時効の撤廃を求める声が全国的に強まっていた。2000年に東京都世田谷区で一家4人が殺害された事件。2004年に愛知県豊明市で母子4人が殺害され放火された事件。いずれも未解決のままだ。
2009年、殺人事件の被害者遺族たちが「宙の会」を結成。高羽さんも参加し、国に対して時効の撤廃を求めた。
「私たちは正義が勝つまでこの戦いをやめません。宙の会の他のメンバーの方にも健闘を祈ります」
その翌年の2010年4月27日、刑事訴訟法が改正され、殺人など凶悪犯罪の時効が撤廃された。高羽さんは会見で思いを語った。「ここで時効を撤廃したことによって(犯人は)随分がっかりしてくれたのではないか。そういう意味では少し仕返しができたかなというふうに思っております」。
26年越しの逮捕、ネットの誹謗中傷で新たに負った傷
