■生き残り旧日本兵との出会いと「アイスクリーム」の約束
「清積さんとの対話を通して伝えることの重要性を強く認識しました」(双葉さんのスピーチ)
清積さんは回天を載せた潜水艦の乗組員だった。1992年の追悼式にはかつて回天作戦に関わった多くの旧日本兵の姿があった。しかし、10年ほど前からは清積さんただ一人となった。
「林さんは8月12日、終戦3日前に出撃。水上機母艦を発見して艦長が出撃を命令して当たった。でも当たったからといって回天が1万トン級の大きな船にぶつかったからといって相手が沈むことは全くないと思います」(清積さん)
清積さんの潜水艦からは5人の回天搭乗員が出撃していった。最年少の乗組員だった清積さんは様々な雑用をこなしていた。
双葉さんは回天の研究を通じて清積さんと出会った。そんな双葉さんの日常はごく普通の高校生だ。
自宅でケーキを作っていた双葉さん。「食べるのが好きなので、作るのも好きみたいな。レパートリーはケーキも作りますし、マドレーヌ、パウンドケーキ、全部ケーキだ(笑)」。
家族での夕食の時間。姉・一那さん(21)は「高3の時にうちにクラスメイトの友達を呼んで、うちの父が回天の大津島に連れていってくれて回天記念館までみんなで足を運んで、回天の歴史を。その時に初めて行きました」と振り返る。
父・隆文さん(56)は「ほとんど全員、回天に連れていっている。知ってもらいたいというか、周南市で何が見られるかという話をしたら、やっぱり全国に知られていない回天を知ってもらいたいというのは昔から常に思っていた」と話す。双葉さんも父親の影響で回天に関心を持つようになった。
大津島にある回天記念館は、搭乗員の遺書や遺品などおよそ1000点を収蔵している。来館者数は年間およそ1万人、外国人観光客数は月に数人程度だった。
双葉さんは、英語教育に力を入れている広島市の高校に通っている。その広島で目にしたものがあった。原爆ドームや平和記念公園に訪れていた外国人観光客の姿だ。
「自分は新幹線通学で外国人観光客の方がたくさん広島にいるのを目の当たりにしていたので、山口にも降りてもらう可能性があるんじゃないかと思って、始めました」
「思い立ったらすぐ行動」の双葉さん。2024年1月、原爆ドーム周辺で外国人観光客にアンケートを行った。その結果を元に、原爆ドームに来る外国人観光客を回天の島にも来てもらうためのプランを作成。全国の高校生が観光による地域活性化のアイデアを競う「高校生まちづくりコンテスト」にプランをエントリーした。
コンテストで双葉さんは「『回天という言葉を聞いたことがありますか』と聞くと、ほとんどの方が『知らない』と答えられました。そんな方に私は回天について、簡単なプレゼンを行いました。その後に『回天に行きたいか』と聞くと、ほとんどの方が『行ってみたい』とおっしゃっていました。最終目標として、外国人が回天にも訪れて平和の認識を高めてほしいと同時に、周南市を観光を通して活性化させることです」とプレゼンした。
見事、2位に当たる学長賞を受賞。受賞報告を兼ねて周南市長を訪問し、回天記念館のインバウンド対策を要望した。
双葉さんが初めて清積さんと会ったのは2024年3月、清積さんが大津島で毎年開いている慰霊祭の時だった。清積さんは双葉さんにとって是非とも話を聞いてみたい人だった。
「この方だけ、出撃する時に『天皇陛下万歳』と言ったのは。他の方は全部『お世話になりました』と言った」「硫黄島かどこかに行った時、回天搭乗員が出撃前に『アイスクリームおいしかった』と言った」(清積さん)
「だから慰霊祭に毎年アイスクリームを」(元乗組員の遺族の女性)
「いつもお供えしていた」(清積さん)
「みんな若いけんな」「今の時代では考えられないな。こんなことは学校でも教えないからな」(清積さん)
「全然教えられないですね、今でも」(双葉さん)
「こういう遺書を書けと言われても、おたくら書けまいがな」(清積さん)
「自分だったら現実を絶対受け止められない」(双葉さん)
「すごいと思うよ、昔の方は。こんなことをするような時代が来たら大変よな」(清積さん)
「今(世界では)戦争とかしているので、本当にこんな世の中にはなってほしくない」(双葉さん)
「別れの盃」と受け継がれる記憶
