「神風は知っていても回天は知らない」人間魚雷の記憶を伝える“回天JK”椎木双葉さん(18)の奮闘…97歳の元乗組員から託されたバトン

テレメンタリー
(4/5) 記事の先頭へ戻る

■「別れの盃」と受け継がれる記憶

清積勲四郎さん
拡大する

 愛媛県松前町に住む清積さんは、30年ほど前に妻を亡くしてからは一人で生活している。

あの当時は何をおいてもとにかく『お国のために』という頭があった。だから青春時代というのはなかった僕は全然」(清積さん、以下同)

 清積さんは15歳で山口県にあった海軍潜水学校に入校。その跡地を訪ねた。

「思い出すな、ここで9カ月勉強したけんな。アメリカが悪い、米英撃滅かな。とにかく日本国民のためにお前らは盾となって頑張って行く覚悟をせいと」

 潜水学校はのちに回天訓練基地に変わった。基地の跡地には小さな資料館がある。当時の記憶がよみがえる。

「一番頭に残っているのは、潜水艦が出て日本の国土から見えなくなる時に、艦長が『お酒を持ってこい』と言って、何に使うのかと思ったら、もう実際にお前ら(回天搭乗員)が出る時には見送りもできん、何もできんから、これが日本の最後の見納めだと(外を見せた)ことと、別れの盃をここでしておくと言って、(自分が)酒を持っていった。これが一番最初の仕事」

「(Q.今は回天を知らない人が増えた?)回天を知らない人がだいぶおる、はっきり言って。回天というのはね、椎木さんかな、あの方がおる間はなくならんと思う。あの子は本当よう頑張ってくれている。おそらく大津島もここも回天の記念館と言っても、何の記念館かなと思って訪ねてくる人も少なかろう」

 双葉さんが作成した「原爆ドーム」と「回天の島」との周遊プラン。2025年3月、双葉さんはツアーの体験会を実施した。双葉さんが通う高校の教師や留学生など6人の外国人が参加してくれた。

 広島から周南市までは新幹線で移動し、原爆ドームを出てからおよそ2時間で大津島に到着した。参加した外国人は皆、初めての大津島訪問だった。

「回天訓練基地です。(回天の)操縦は少しはできましたが、ほぼ何も見えないので非常に困難でした。回天搭乗員が最後に見るのは闇でした。ある回天搭乗員が出撃を前に『アイスクリームを食べたかった』と言ったそうです。隊員たちが家族に書いた手紙です。英語で読んでみます。“皆様ありがとう 思えば楽しい20年の人生 皆様のご厚意を体し 笑って突っ込みます” 回天搭乗員の遺書です」(案内をする双葉さん)

 参加したアメリカ人教師は「多くのアメリカ人は神風は知っていますが、回天はほとんど知られていないと思う」と話し、フィリピン人教師は「非常に驚き、とても悲しいと感じました。任務に選ばれてそれを実行すると、生還できないことが明らかだからです」と述べた。インドネシア人留学生は「回天の犠牲者の手紙を読むことは非常に心を動かされ、平和の価値の重要性を再認識させてくれます」、別のアメリカ人教師は「若い人たちに戦争の惨状を理解してもらうのは難しいですが、こうした博物館は戦争がどのように起こるのかを理解する助けになります」と感想を述べた。

 双葉さんは「自分のウェブサイトをより海外での検索数を増やし、そこで回天に行ってみたい、回天を訪れてみようかなという、原爆ドームに行くついでに訪れたいという人を、最初は1カ月に10人増えれば、今ゼロなところを10に増やすというのは重要なことだと思っているので、どんどんその数を、外国人の方に訪れてもらって、この街の大津島にある回天の歴史を多くの方に知ってもらい、風化させない、歴史を作っていきたいと思っています」と意気込んだ。

「忘れるつもりはない」託されたバトン
こんな記事も読まれています
この記事の写真をみる(13枚)
このまま画像を見る
続きは広告を見た後にご覧いただけます
クリックして広告を見る