ひまわり農家の無念
ひまわりが消えたことを誰よりも残念に思っている人がいた。ひまわり農家の増子保雄氏(80)だ。
増子氏は「18年目で今年最後だったから、本当にがっかりした。布引高原に上がる気持ちがなかなか湧いてきません……」と話す。
始まりは18年前、減反政策で使われなくなった畑を活用しようと郡山市から頼まれ、ひまわり栽培を開始した。
「畑が余ってしまって、あんな風に草だらけにしておけないから。『増子さん、ひまわりやってくれないか』って、それから始まったんだよ。その時はひまわりの栽培なんてやったことないから、やったらやったであの頃はハトに全面やられた。そして(種を)まき直したの」(増子氏)
失敗を重ねながら少しずつ作り上げてきた、高原のひまわり畑。少しでも長く楽しんでもらおうと種を撒く時期も畑ごとにずらしてきた。ただ種を撒けば出来上がる光景ではない。18年の年月と人の手が作ってきた景色だった。
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