学生時代から足繁く通った「和風キッチン スエヒロ」。レジ横には青木真也のサインも

――ある意味、青木選手がキャリアの終わりに向かっているなかで、朝倉未来選手と戦えることは貴重な部分もあると思います。
青木:超ラッキーですよ。僕がカード発表会見で『残念だったな、俺だよ』(プロレスラーのヨシ・タツの決め台詞)と言いましたけど、あれは同世代の選手たちに言った部分はありますよね。朝倉未来の相手という限られた枠を俺が持って行ったわけだから。実際に『なんで青木なんだよ?』ってムカついた選手もいたと思います。
――でもそれは青木選手が、RIZINになびくことなく、ONEで独自のキャリアを積んだことで価値がある選手になったからだと思います。
青木:そうやって自分で自分の価値を上げてきたからこそですよね。ただみんなが思っているほど、俺は浮かれてないですよ。
ーーそれは静岡にいることも影響しているのですか?
青木:それもあるし、逆に東京がどれだけおかしいかも分かります。例えば物事が進むスピード感。静岡に戻って来ると東京にいる時のスピード感で仕事は出来ないですよ。格闘技で言えば、東京にいたら誰かを指導する・練習するとなったらお金のやりとりが当たり前にあるけれど、静岡はお金のやりとりがなくて一緒に練習しましょうみたいな持ちつ持たれつの関係になる。そういった部分で困ることもあるけど、それと同時に心が豊かになりますね。特に自分は生き急ぐ仕事をやってきたから、その速度を変えたいと思っていたので。
――青木選手は2004年にプロデビューして、20年以上、プロファイターとして戦っていますが、一般の人が経験する20年よりも内容はものすごく濃いものだったと思います。
青木:だから自分が生きるルールそのものを変えたい感じですね。あとは40歳を過ぎてから価値観が変わりました。2年前から静岡に活動の拠点を移すようになったんですけど、東京にいて今の(プロ)生活をいつまでもやってられねえよと思ったんですよ。このままこのレースを続けていたら、いつまでも終わらねえな、と。どうやって自分のキャリアを終わらせようかを考えた時の一つの選択がこれ(静岡に拠点を移すこと)でした。
――青木選手が43歳になって、2026年5月にONEとの契約にピリオドを打ち、RIZINで朝倉未来と試合することになるというのは大きな流れかもしれないですね。
青木:もっと早いタイミングでズバッとONEと契約が終わっていたら、ここまで続けていなかっただろうし、自分の感覚的には2年後ろ倒しになった感じなんですよ。
――青木選手自身、2024年1月にONE日本大会でセージ・ノースカット戦が決まった時「北米MMAのトップ選手に挑む試合はこれが最後になる」と話していました。結果的に大会当日に対戦相手が変わるという前代未聞の事態となりましたが、あそこでノースカットと戦っていたら、今の青木選手はいないでしょうね。
青木:本当はあの試合を最後にガラッと(キャリアを)変えたかったんで。それをミスして今に至るわけですけど、あれが正しい選択だったかどうかは今でも分からないです。あそこでONEと一度契約更新したのは今思えば欲をかいた部分もあったと思うし。ただ43歳になった今は2年前とは選択する基準が全然違ってきたんですよ。お金を稼ぐことが大事というより、今自分は何ができるかが大事で、例えばものすごくお金を稼いで豪華とされる暮らしをするよりも、ちゃんと自分の足で歩ける方が大事というか。そういう基準で物事を選択するようになりましたね。
“狂気”を取り戻せるかどうかは試合が始まるその瞬間まで分からない
