高校を卒業後角界入りをして21年が過ぎ、平成27年九月場所からは旭天鵬(現・友綱親方)、若の里(現・西岩親方)といったベテラン力士の引退により関取最年長となった安美錦(伊勢ヶ濱)。さらに今場所は、自身の持つ昭和以降で最高齢・再入幕記録を39歳6ヶ月に更新した。
いぶし銀とはまた違い、彼の相撲には華がある。素人も玄人も魅了することができる力士だ。ときに力で相手をねじ伏せて、ときに相手が魔法にかかったような勝ち方をする。土俵際の際どい相撲も多く、行司がどちらに軍配を挙げればいいか迷う一番が多いことから「行司泣かせ」の異名を持つほどだ。ファンの間ではSNS上で「妖術使い」とまで呼ばれている。金星8個、殊勲賞4回、敢闘賞2回、技能賞6回を獲得している彼の相撲人生は「ケガ」と向き合い続けているからこそ今がある。
土俵上の安美錦を見れば、彼がどこのケガで苦しんできたのかが一目でわかる。両膝に施された装具は否が応でも目についてしまう。さらに平成28年五月場所では37歳にしてアキレス腱の断裂という悲劇が繰り返された。
「満身創痍」この言葉がここまでピッタリ当てはまる状況はそうはないだろう。しかし安美錦は土俵を下りなかった。一番最初の大きなケガは平成15年七月場所十一日目の闘牙戦(現・千田川親方)でのことだった。千田川親方は当時の取組をこう語る。
「竜児(安美錦の本名)が最初にケガをしたのは俺との取組なんだ。俺は立ち合い喉輪を狙っていったんだけど、竜児が変化したか、いなしたままで横に飛んだんだ。そうしたら土俵際までいってて、竜児は中に入ろうとしたんじゃないかな? 俺はもう一発突いていこうと思って突いたらそのときに膝が入った形になって勝負が決まったんだけど、プライベートでもよく遊んでたから心配になって、取組後に菓子折り持って部屋に謝りに行ったんだよ。それが竜児の最初のケガ。他にもケガはあったけど、いまだにあの年齢で関取にいるんだから本当にすごい力士だよ」
医者には手術することを勧められたが、手術をすれば復帰まで半年を要する。そのため手術を選択せず、膝の周りを鍛え、怪我と付き合いながら戦い続ける道を選んだ。
「情熱の薔薇」
平成29年十一月場所では昭和以降で最年長の記録となる最年長再入幕を果たし、その場所は千秋楽に勝ち越し新入幕だった平成12年七月場所以来、103場所ぶりに自身2度目の敢闘賞を受賞。そのときのインタビューでは『家族の支え』『幕内で通用するか不安だった』『連敗が続くと弱気になることもあった』『今日勝てたので家族と喜びを分かち合えれば』など、涙ながらに言葉を紡いだ。
いままでの苦労が報われて安心した表情の安美錦が答える姿に多くの相撲ファンが感動をした。そんな苦しいときに安美錦がよく聴いていた曲があることを雑誌の対談で語っていた(Number疾風大相撲)。それが伝説のパンクロックバンド「THE BLUE HEARTS」の情熱の薔薇だ。気持ちがふさぎ込んでいるとき、奥様に「歌でも聴きなさい」と言われ聴いていた。情熱の薔薇には『情熱の真っ赤な薔薇を胸に咲かせよう』という歌詞が出てくる。安美錦は『情熱の真っ赤な薔薇を胸に咲かせるには、結果を出すには、やはり稽古しかない』そう前向きな気持ちになれたと語っている。
今回の五月場所では39歳6ヶ月で再入幕となり、自身の持つ昭和以降で最高齢の再入幕記録を更新。ひとりの力だけでは土俵で相撲を取ることはできない。すべての人の支えがあり、一番一番相撲が取れることを熟知したベテランは「まだ大関取りを諦めていない」と明言しているように、最高齢の記録だけでなく、力士として自身の最高位を更新できるよう日々精進している。「土俵上の魔術師」安美錦は五月場所で相撲ファンにいったいどんな魔法を観せてくれるのか。安美錦の闘いはまだまだ続く。【相撲情報誌TSUNA編集長 竹内一馬】
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