高齢化社会を見据えて政府が19日に取りまとめた「全世代型社会保障制度」の中間報告に盛り込まれた、70歳まで働き続けられるような仕組みづくり。事業者に対し、定年の延長や廃止などの措置を求めていくというものだ。さらに共同通信によると、政府は国家公務員の定年も2022年度から段階的に引き上げる方針だという。
これに対し、「企業側も困るだろ」「働かないおじさんたちを一掃してからにして欲しい」「働かない時間を延長ってことね」など、ネット上の若い世代からは、“働かないおじさん”に対する怨嗟の声が。
しかし実際には“働かない”のではなく、“働けない”おじさんもいるようだ。テクノロジーの進化による“人余り”によって、行き場を失ってしまった世代が少なくないという。
番組を担当する朝日健一プロデューサーは「喫煙所とデスクを行ったり来たりして、気がついたらもういなくなっているみたいな、そういうおじさんはどこにでもいると思う。自分よりもお給料をもらっているはずなのに…という人は何人か思いつく。なかなか言えないが」と苦笑しつつも、「タブレットPCが支給された時などに、若い人に“設定よろしくお願いします”と頼み、ネットサーフィンのためだけに使ったり。結局、若い人の時間も奪っている形になってしまうことがある」と話す。
作家の乙武洋匡氏も「10年前に公立小学校で教員をやっていた頃、PCが一人ずつ支給された。つまり、上としてはデジタルで仕事をしろということだが、50代の先生方はPCが使えず、“紙で回して”と言う。結局、正式な書類はデジタルで作らなければいけないのに、先輩教師に渡すのは紙で作らなければいけないということで、めちゃくちゃ大変だった」と振り返る。
こうした人たちを5Gならぬ“50G”という造語で表現したコンサルタントの横山信弘氏(アタックス・セールス・アソシエイツ社長)「“働かないおじさん”という言葉はストレートすぎて使いづらい。やはり業績不振によるリストラ対象ではないという点が非常に根深い」と話す。
「“働かないおじさん”ならまだいい。現場に入って支援をしていると、“働いているふう”のおじさんの方がきつい。例えば、課長が体調を崩して入院したとしても、現場は何の問題なく回るどころか、活性化してしまうケースがある。つまり、いない方がよかったのではないかということ気付いてしまうという、非常に痛々しい状況もある。本人は朝早くに来てメールをチェックし、資料を作ったり、夜遅くまで会議漬けだったりするが、実は付加価値が出ていないということが、いなくなると分かってしまう」。
テレビ朝日の平石直之アナウンサーは「40代半ばの私にとっても切実な問題だ。プロデューサーやデスクが同年代か年下になってくると、“あまり色々言いすぎると、使いづらいだろうな、このぐらいで止めとかないといけないな”みたいに思うこともある。そして、食らいついていたとしても、ある時を境に仕事が回ってこなくなる、ということも現実に起こりうる。アナウンサーという仕事はちょっと特殊だが、どの番組を担当するか、どの部署に行くか、どの勤務地に行くかということを会社が有無を言わさず決めてしまう以上、サラリーマンでいる限り、キャリアプランというものは自分で組めるようで組めない。その意味では、早い段階で副業を認めるなどして、リリースしてもらわないといけないと思う。そうしないと、40代後半、50代になった時、何もすることがなく、そのことを分かりながらも会社に居ざるを得なくなってしまう」と心境を吐露した。
働き方評論家の常見陽平・千葉商科大学専任講師は「この手の話は、特にロスジェネ世代の憤りの文脈などで10年、20年前から議論されていることではあるが、気をつけないといけなのは、いつから働かないおじさんになったのか、あるいは働かないのはなぜか、そして、それらは彼らのせいなのか、ということだ。つまり、日本型雇用システムの根本の問題にも関係しているし、“嫌われない処世術”をわきまえないといけないという意味では、彼らも実は被害者だという見方もできる」と指摘する。
「誰もが課長になれる時代でもあるし、40代ぐらいで出世コースか否かという選別が済んでしまうので、それ以降の出口をどうするかという問題がある。また、社会が変化していく中で、真面目にやっていても価値が下がってしまうという“技術的失業”という問題がある。加えて、プレーヤーとしては優秀でも、管理職ではワークしないという人もいる。だからといってすぐに切ってしまうのも問題だ。賃金と役職を、いかに納得感のある形で最適化するか。よりストレートに言うといかに“下げるか”、いかに腐らずに働き続けてもらうかだ」。
その上で常見氏は「若い頃は光っていたのに、選抜の中で課長や部長になれなかったり、仕事の波に乗れなかったりした人たちがどうすれば活躍できるのか。その点では、“エース社員依存型”ではなく、真ん中の人が活躍できた方が、業績が上がるケースもあると思う。僕が勤めていたリクルートでは、役職や年俸を既得権化しないような人事制度にして、社内で賛否両論を呼んだ。管理職に昇進するというよりも登用する、ポジションに最適な人をアサインする、ということで、中途入社の20代が部長になる可能性もあるということだ。実際、いまだに50代で年収7~800万円くらいでも働いている人もいる。結果としては、みんなが残りやすくなったというのと、納得感があるのではないか。極端に言えば、その仕事を極めれば、70歳、80歳でも年収700万円でずっと働けるみたいなことが設計できたら、それはそれでハッピーになるのではないか」と提言。
さらに「今の会社に無くなったものに、“3つの談”があるという話がある。相談・雑談・漫談だ。成果主義の中、働き方改革によって時短が目的化されているので、中長期のことを考えられない。海外の企業の場合、仕事のうちの何割かは無駄なこと、次のことに繋がることをやっている。それがないから人が育たない、組織がギスギスするということがある。やはり意図的な無駄は大事だし、おじさんたちを課長からどんどん降ろして、35歳ぐらいの若い課長の下で課長代理として付け、“三遊間のゴロ”を拾ってもらう。そしてクッション役やガス抜き役、時には課長に物申して育てる役割を任せるのもいいと思う。新卒一括採用も年功序列も、全部が全部悪いわけではない。機能していた部分もあるし、むしろ今こそ必要な部分もある。2020年代は日本的な人事・雇用システムをどうチューニングするかだ。人材が生き生きと働ける仕組み作りをすべきだなと思う。安倍政権も経団連もその機能が決定的に弱いと思う」と訴えた。
前出の横山氏は、“50G”時代のあり方について「やはり日本人は“就社”、会社に就くという意識だが、“仕事を極めたい。その仕事をちゃんとやらせてくれないのであれば他で”という“就職”、職に就くというマインドを持っておくと、もっともっと長く働けるのではないか。その点、転職の回数が多いとレッテルを貼られてしまったり、マーケットバリューが落ちてしまったりするが、会社も人に依存しない、人も会社に依存しない、もうちょっとフリーな感じになった方がいいと思う」と指摘。
加えて「今までの日本のサラリーマンは、35~40歳ぐらいがキャリアのトップで、あとは少しずつ落ちていって、60歳ぐらいで最後を迎えていたが、そこが70歳を超えるということは、トップを50~60歳ぐらいにしてもいいと思う。私は今50歳なので、70歳まであと20年。スマホができて10年あまりと考えると、これからAIやロボットが出てきて、一体どうなるか全く分からない。私の会社にも税理士、会計士がいるが、そうした仕事もいつまで人間がやり続けるのか、ということはよく言われる。リカレント教育、学び直しも重要だし、技術以外の人間力というところで若い人の力になるということを、会社としても個人としてもやっていくことも必要だと思う」と話していた。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)
▶映像:働かないおじさんが増殖する意外なワケ
■Pick Up
・キー局全落ち!“下剋上“西澤由夏アナの「意外すぎる人生」
・「ABEMA NEWSチャンネル」がアジアで評価された理由
・「ABEMA NEWSチャンネル」知られざる番組制作の舞台裏