昭和初期の戦法がAI全盛・令和に復活 藤井聡太棋聖がタイトル戦で採用した「土居矢倉」に見る将棋の奥深さ
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 両者20枚ずつ、計40枚の駒で、9×9=81マスの中で戦う将棋というテーブルゲームにおいて、戦型・戦法は古くから数々のものが生み出され、また消えていった。ただ、一度消えたと思われたものが、AI(将棋ソフト)全盛となった令和の時代において、また復活するあたりが実におもしろい。8月4、5日に行われている王位戦七番勝負第3局。史上最年少でのタイトル獲得を果たし、日本中の注目を浴びる藤井聡太棋聖(18)が用いた「土居矢倉」という戦法は、大正から昭和初期に活躍した実力者が得意としているものだった。

▶中継:藤井聡太棋聖、80年前に使われた「土居矢倉」を採用

 玉を自の左側に移動させ、金・銀を用いて囲う形の一種であり、居飛車党が用いる「矢倉」。一時は「雁木(がんぎ)」に押され、プロの間でも対局に用いるものが急激に減ったが、ここ数年でまた盛り返してきた。藤井棋聖がタイトルを取った棋聖戦五番勝負でも用い、対戦した渡辺明二冠(36)、さらに王位戦で戦う木村一基王位(47)も得意としているもの。将棋の中でも、最も有名な囲いの一つにあげられる。

 その中で「土居矢倉」は、広く「矢倉」と呼ばれる形の中の一種類。名前が入っている土居市太郎名誉名人が愛用したものだ。土居名誉名人は大正から昭和初期に活躍し、実力制名人を決めるリーグ戦に第1期から参加。日本将棋連盟初代会長も務め、勲四等瑞宝章も受けた将棋界の偉人だ。

 今は令和2年、西暦2020年。土居名誉名人が最初で最後となる名人挑戦を果たしたのが昭和15年、西暦1940年。ちょうど80年前のことだ。この時も「土居矢倉」を用いて、当時の木村義雄名人と戦いを繰り広げた。

 新たな戦法が考案されては、対抗策が生まれ、さらに派生・発展を繰り返し、頭打ちになれば消えていく。ひたすらそれが繰り返される将棋において、古い戦法が再評価されるのは、AIによるものも大きい。人による検討では見えなかったルートが発見されることもあるからだ。実際、土居矢倉は近年、若手棋士の間でも用いられることが増えてきた。最初から土居矢倉を研究するというよりも、矢倉について研究を進めるうちに、土居矢倉に行き着いたと考える方が自然かもしれない。

 8月4日、王位戦第3局を中継していたABEMAで解説を務めた高野秀行六段(48)は、しみじみと語り出した。「巡り巡って、AIがこんなにすごい時代に(土居矢倉に)戻る。将棋は非常に不思議だと思う。奥深さもそうですし、ずっと歴史が脈々と続いているんだろうと思います」。1分あれば、数億に分岐することができるAIを用いた結果、人が頭をひねりにひねって生み出したものが評価され、今の時代に若き天才に引き継がれる。将棋はそんな奥深さ、浪漫がある。

(ABEMA/将棋チャンネルより)

第61期 王位戦 七番勝負 第三局 1日目 木村一基王位 対 藤井聡太棋聖
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王位戦 七番勝負 第三局 2日目 木村一基王位 対 藤井聡太棋聖
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