東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会が14日、開閉会式の共通のコンセプトとクリエイティブチームのメンバーを発表した。このうち、開会式の作曲担当として起用されたCorneliusの小山田圭吾(52)について「ふさわしくない」との声が上がっている。
小沢健二らとともに「フリッパーズ・ギター」のメンバーとしても活動、数々のテレビ番組の音楽を手掛けていることでも知られる小山田だが、90年代、複数の雑誌のインタビューで、小学~高校時代に障害をもった同級生を全裸にして紐で巻き自慰行為をさせる、排泄物を食べさせてバックドロップをかけるなどの暴行に加担していたことが問題視されているのだ。
■「何か一言メッセージを出しておけば、ここまで批判されることにはならなかったのではないか」
同日夜の『ABEMA Prime』でテレビ朝日の平石直之アナウンサーが「ただ、インタビューは27年も前のこと、実際にいじめていたのは40年ほど前のこと、いまさら蒸し返すことに疑問の声も上がっている」と水を向けると、EXITのりんたろー。は「確かに人としてあるまじき行為をしていたのは事実で、それは良くないことだが、じゃあ清廉潔白な人っていますか?って思っちゃう。そこから27年、40年と歩んできた道とか、後悔とか、成長とか、変化とかを全部にして、今を見ずにこの行為だけをクローズアップして、過去の彼に対して石を投げるということが果たして正しいのかという疑問はある」とコメント。
すると相方の兼近大樹は「やっぱり過去を含めて今につながっているので、“過去を背負っていけよ”という派だ。かと言って、この状況で声を上げている人たちは、何をしてほしいのか。騒ぐことで何が今後変わっていって、自分自身にどういう変化をもたらして、どういうことができるのか、というのが気になる。ひとりひとりが何のために“過去にこういうことをしていただろ”と叫んでいるのかを知りたいなと思う」と応じた。
さらに平石アナが「オリンピック・パラリンピックの仕事という名誉なことなだけに、許せないという感情も巻き起こってしまうのかも知れない」と話すと、作詞家の児玉雨子氏は「私もコーネリアスのファンだったし、音楽ファンや渋谷系のファンの皆さんからしたら、結構“周知の事実”だと思う。だから今さら、というか、ああ、この件を掘り返されたんだ、と思った。
ただ、パラリンピックの作曲担当でもあるし、今回のことで初めて聞いてビックリしている方も多いと思う。特別支援学校の人をいじめてしまっていたということもあるので、その過去を踏まえて、叩かれるのを分かって受けたんじゃないかと私は思っているが、何か一言メッセージを出しておけば、ここまで批判されることにはならなかったのではないか。過去やっていたことと、イベントとの組み合わせが悪かったと思う」と指摘。
平石アナも「当時インタビューでは“武勇伝”のように語っていて、“ちょっとワルだったことがかっこいい”という雰囲気のまま現在に至っている。気持ちを入れ替えたということがないまま、ここに来てしまっているということもある」と話した。
■「被害に遭った方にとっては一生のトラウマだし、年月が経ったからといって許せることではない」
他方、フリーアナウンサーの柴田阿弥は「もちろん、誰だって過去のちょっと良くない発言とかはあると思うし、不倫とか薬物をやってしまったみたいな過去も、事情によっては忘れられてもいいと思う。もちろん罪を償ってというのも分かるけど、過去の失敗にどれだけ寛容な社会にということだと思う。
それでも今回のことは明らかに暴力で、被害者の方がいる。もちろん作品に罪はないと思うが、オリンピック・パラリンピックを見る方の中に過去に非常に辛いいじめにあった方とかがいらっしゃった時に、そのイメージは出てきてしまうと思う。メチャメチャ難しいが、いじめの被害に遭った方にとっては一生のトラウマだし、年月が経ったからといって許せることではない。
一方で加害者、“見ていただけ”という人、あるいはあんまり関わってこなかった人が“昔の話じゃん”と思う気持ちも分かる。だからそこは一生分かりあえないかなと思う。おそらくこの世で最強の戦闘力を持つスポンサーの意向だとも思うが、どういうふうに社会が判断をするのか。日本ではどうしていくのかなというのが気になる」と指摘した。
慶應義塾大学の若新雄純特任准教授は「人の罪に寛容になれない、人の罪を許さないということは、ゆくゆくは自分自身が許されなくなるということだと思う。りんたろー。さんが仰ったように、清廉潔白な人はいるのか?というのが、まさにキリスト教をこれだけ世界に広めた理由だと思う。全ての人が、過去に人には知られていない、けれど罪深いことをやってしまったり、恥ずかしいことをやってしまったりしている。それを忘れろという意味ではなく、それを抱えていくのが人間であるというか。
世の中には罪を犯す人と犯さない人がいるのではなくて、全ての人が何かのきっかけで罪を犯す側に行く可能性を持っている。その上で罪を犯してしまった人や過ちがあった人とどう向き合っていくか、許していくかがテーマだと思う。今回のことも"水に流せ"というよりは、そういうことを踏まえた彼がこのイベントでどう向き合ってやっているのか、その様をみんながちゃんと見つめるという方が意味がある気がする。問題がないと言ってるんじゃなくて、問題に触れない社会の方が問題だということだ」と話し、平石アナは「オリンピックまで10日を切っているのに、まだこんな会話をしてるんですか、という感じだ」と締めくくった。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)
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