試合前に相手の戦術を研究して作戦を立て、刻一刻と残り時間が減っていく中で、戦況を見極めて次の一手を繰り出す。サッカーの監督と、将棋の棋士が行う作業は似ている。将棋盤というピッチを見つめながら、常に決断の連続を迫られる棋士が、サッカーの世界から発見するものはあるのか。欧州サッカー通として知られる“将棋界のシメオネ”こと渡辺明名人に、将棋とサッカーの共通点とカタール・ワールドカップの注目ポイントを聞いた。

――渡辺名人が欧州サッカーを見るようになったきっかけは?

渡辺 2011-2012シーズンからですね。ちょうど息子が小学校のサッカー部に入って、ルールもよくわからないような状態だったので、テレビを見せるのが一番手っ取り早いだろうということで。それまでは僕自身も、日本代表戦をやっていれば見るような、一番ライトな層だったんです。香川真司選手が所属していたマンチェスター・ユナイテッドを見るようになって、すっかり欧州サッカーを視聴することがルーティン化していきました。

――4級審判の資格も取得したそうですね。

渡辺 小学生の試合では“お父さん審判”の需要があるんですよ。取得したら、毎年、FIFAの日本語版ルールブックが送られてきて。それを読むのが楽しかった。サッカーは将棋と違って、わりと頻繁にルールが変わる競技です。キックオフ時にボールを前に蹴りださなくてもOKになったり、ゴールキックをペナルティエリア内で受けられるようになったり。

 小学生だと、ゴールキックの飛距離も出ないし、相手もそれを狙っているから、どうしてもペナルティエリア内でボールを受けたくなっちゃうんです。だからルール変更前は、何度もゴールキックをやり直しさせたことがあります。これは“お父さん審判あるある”です(笑)。

シメオネに惹かれる理由

――イチ押しのクラブ、選手・監督はいますか。

渡辺 アトレティコ・マドリーのディエゴ・シメオネ監督が好きですね。アトレティコは、レアル・マドリーやバルセロナほど資金がないのに、シメオネ監督の就任以来、2013-14シーズンと2020-21シーズンのリーガを制した。UEFAチャンピオンズリーグでも2度決勝に進んでいます。これは監督の手腕が優れているからこそできること。どんな人なんだろうと気になって、どんどんシメオネさんに惹かれていったんです。

――シメオネ監督の著書にあった「選手のモチベーションを高めたり、選手をコントロールするときに、聞こえの良いフレーズは無意味だ」という趣旨の言葉に、影響を受けたとか。

渡辺 海外サッカーを見るようになって、監督さんたちの言葉に影響を受けた部分はありますね。シメオネ監督だったり、ジョゼ・モウリーニョ監督だったり。あのクラスの監督たちは、例えば記者からの質問が的を得ていなければ、「その質問は間違っている」とはっきり否定している印象があります。これは大切なことだなって。

 将棋の世界では、取材をする記者の数がかなり限られています。必然的に、いつも同じ記者の取材を受けることになる。そこで的外れな質問に対して、頭の中では「おかしいだろ」と思いながら、置きにいったようなフレーズで答えても、記者は育たない。質問のどこがおかしかったのか、記者自身が理解することで、記事の質も上がるはずです。嫌がられるでしょうけどね(苦笑)。

――言葉だけでなく、服装もシメオネ監督の影響を受けているような……。2020年7月の「第3回AbemaTVトーナメント」には、黒のスーツに黒シャツ、黒ネクタイのシメオネスタイルで臨んでいました。

渡辺 完全にシメオネ監督を意識していました(笑)。本当は、ブランドまで完全コピーしたかったんですけどね。検索したんですけど、なかなか見つけられなくて。

黒づくめがトレードマークのシメオネ。11年からアトレティコ・マドリードを率いている ©Getty Images
黒づくめがトレードマークのシメオネ。11年からアトレティコ・マドリードを率いている ©Getty Images

――渡辺名人ならではの欧州サッカー観戦方法はありますか。

渡辺 基本的に僕は夜中にサッカーを見るので、戦術面など細かな部分は気にせず、ビールを飲みながら楽しんで見るタイプです。手元に欠かせないのは、選手名鑑。気になる選手がいたら、名鑑で国籍や年齢、経歴などを調べます。シーズン途中加入で、名鑑に載っていない選手だったらスマホで調べるようにしていますね。

――将棋と同じく、研究熱心なんですね。

渡辺 選手の情報を把握しておくことで、ワールドカップをより楽しめるんですよ。実際、欧州サッカーを見るようになって、ワールドカップの見方も大きく変わりました。

サッカーと将棋の共通点

――特に印象に残っているワールドカップのシーンは?

渡辺 最近では2014年ブラジル大会の準決勝、ドイツがブラジルを7-1で倒して「ミネイロンの惨劇」と呼ばれた試合ですね。観客席で泣き崩れるブラジルの人たちの姿を見て、ワールドカップの重みを感じました。

――今年のカタール大会はAbemaが全64試合を無料生中継。日本で初めて“すべての試合をスマホでライブ観戦できるワールドカップ”です。

渡辺 外でもワールドカップが見られるのは、良いですよね。将棋もAbemaさんの中継をたくさんの人が外出先でもスマホで見てくれています。ひと昔前なら考えられなかった。僕は子供の頃、外出先で相撲がどうしても気になるときは家電量販店に駆け込んで、店内のテレビで見ていました(笑)。スマホでワールドカップが見られるなら、その必要もありませんもんね。

――近年の将棋中継ではAIによる形勢判断がリアルタイムで表示されます。持ち時間がどんどん減っていく中で形勢を判断し、次の一手を考える作業は、サッカーの監督と共通する部分があるように思います。

渡辺 サッカーの監督の方が、より複雑でしょうね。将棋は1対1の勝負で、駒の動き方も決まっています。サッカーの場合は個性の違う11人を選ばないといけない。やり方が無数にありますから、監督が考えることもより多いと思います。形勢を判断して作戦を考える作業は、サッカーと将棋で共通する部分があるかもしれません。

 将棋でも「ここらへんまでいけば大丈夫」というラインはあって、サッカーと同じように相手が格下ならば2点差をつければ逆転される可能性は低い。でも、1点差ではコーナーなどセットプレー一発で追いつかれる可能性がある。そこでいかに相手のカウンターをケアしながら攻めるかという判断は、サッカーに似ているかもしれないですね。

――2018年のロシア・ワールドカップ決勝トーナメント1回戦では、日本が後半途中まで2-0とリードしながら、試合をひっくり返されました。

渡辺 さすがに「勝った」と思いましたけどね。残り時間25分を切って、2点差でしたから。優勝候補に挙がるほどのタレント軍団であるベルギーに、日本が勝っちゃう。単純に「すごい!」と興奮していたんですが……“詰み”まではいかなかった。あの状況を何とかしてしまうのが、本当に強い国なんでしょうね。

本職の将棋に引けを取らないサッカーへの深い見識を語った渡辺名人 ©Kiichi Matsumoto
本職の将棋に引けを取らないサッカーへの深い見識を語った渡辺名人 ©Kiichi Matsumoto

――将棋の世界では、渡辺名人が強者であるベルギーの立場で戦うことが多いと思います。2点リードされても慌てませんか?

渡辺 ははは。確かに、相手が少し格下ならば「2点差でもいける」「ひっくり返せる」と思うかもしれない。同格の相手だったり、3点差をつけられると、さすがにきついですけどね。

やりにくくなった“引いて守る”将棋

――同じくロシア大会のグループリーグ最終戦では、日本が0-1でリードされながらも、他会場の結果による勝ち上がりを狙って、ゴールを目指さずパス回しを続ける選択をしました。あの判断をどう見ていましたか。

渡辺 あれはしょうがないと思います。ああいうケースって、将棋でもわりと起こるんです。リーグ戦の最終戦で、自分が負けたとしても、同時に対局しているライバルの結果によって勝ち上がれるという状況です。「自分の将棋に集中する」と言うのは簡単ですが、実際にやるのは難しい。人間ですから、他力で勝ち上がれる可能性があれば、どうしてもそちらが気になって、期待してしまう。結果的に日本は決勝トーナメントに進めたわけですから、妥当な判断だったと思います。

――将棋も戦術を駆使して戦う競技ですが、“渡辺監督”と戦術の使い方が似ていると感じるサッカーの監督はいますか?

渡辺 僕は守りを固めて、少ない手数で攻める将棋が好きなんです。サッカーで言えば、引いて守りを固めて、足の速い選手を使って攻めるようなイメージです。でも、近年の将棋界では「引いて守る」ことがやりづらくなったんです。AIが登場するまでは“遠く”、つまり試合中盤以降の戦況が見えなかったからこそ、「まずは引いて守っておけば間違いないよね」という戦い方ができました。

 ところがAIが浸透して“遠く”が見えるようになると、それが評価されず「引いて守るのは損」という時代になった。戦術が複雑化して、仕掛けがどんどん早くなったんです。

――戦術の変化も、サッカーと将棋で共通しているかもしれませんね。サッカーでも引いた相手を崩すための選手の立ち位置や、より相手ゴールに近いエリアでの守備方法が整理され、90分間“ベタ引き”で守るチームは減りました。

渡辺 決して詳しくはないのですが、おそらくサッカー界にもAIによる戦術分析や映像解析が浸透してきているでしょうし、各クラブが専門の分析官を雇っているとも聞きます。今ではゴールキックからパスをつないで相手ゴールまで行くチームも増えていますけど、あれも分析を通じて選手全員が組織的な動きを理解しているからこそできることだと思うんです。

日本はベスト8を狙える

――カタール・ワールドカップでは、各国の戦術にも注目です。ずばり、渡辺名人が考える優勝候補は?

渡辺 ブラジル、フランス、ドイツ、スペインがSランク。将棋で言えば、この4カ国がタイトル保持者のような存在だと思います。それに続くのが、ポルトガル、イングランドあたりかなと。よりによって、そんなSランクのうちの2カ国と……。

――日本がグループステージで対戦することになりました。

渡辺 一番きついグループに入りましたよね。「こんなに強い国との対戦が決まって嬉しい」という声も聞くんですが、選手たちもそう思っているんですかね(笑)。将棋でも、例えば「藤井聡太さんと対戦できて嬉しいです」とコメントする棋士もいるのですが、僕だったらトーナメントの上の方で当たりたい。その方が目立てますし、結果も残りますから。

 でも、組み分けを嘆いたところで意味がないですよね。僕は今回の日本代表にすごく期待していて、ベスト8を狙う力もあると思っています。決勝トーナメント表を見ると、日本がグループEを2位通過して、ブラジル、フランスが順当に1位通過すれば、「Sランク」とは準決勝まで当たらないんです。だからこそ、うまくグループステージを勝ち抜くことができれば、ひょっとするとベスト4まで進む可能性だってあると思っています。

(構成=松本宣昭)

©Kiichi Matsumoto
©Kiichi Matsumoto

渡辺明(将棋)(わたなべ・あきら)

1984年4月23日、東京都生まれ。15歳で史上4人目の中学生棋士としてプロデビューし、04年には20歳で竜王を獲得。13年には竜王、王将、棋王を獲得し、史上8人目の三冠に。現在は名人と棋王に在位するほか、永世竜王、永世棋王の称号を得ている。