1982 FIFAワールドカップ スペイン(スペインW杯)の優勝国、試合日程・結果、グループ組み合わせ、対戦カード、サッカー日本代表の成績について紹介します。
目次
- ワールドカップ1982 大会概要
- ワールドカップ1982 大会日程・結果
- ワールドカップ1982での日本の結果・順位は?
- まとめ
ワールドカップ1982 大会概要
大会正式名
「1982 FIFAワールドカップ スペイン」です。
開催国
スペインで開催されました。試合は、マドリード、バルセロナ、ビーゴ、エルチェ、ア・コルーニャ、ヒホン、オビエド、アリカンテ、ビルバオ、バリャドリード、バレンシア、サラゴサ、マラガ、セビージャの14都市、17のスタジアムで行われました。
開催期間
1982年6月13日から7月11日にわたって行われました。
概要
ワールドカップ1982の大会方式は、参加国が24チームに増加したことなどを含めて、過去の大会からいくつかの変更がありました。その一つが2次リーグ制の導入です。24チームは、4チームずつ6グループに分かれて1次リーグを戦い、各グループ1位と2位が2次リーグに進出。続いて3チームずつ4グループに分かれて戦った後、各グループ1位チームがノックアウトステージに進出します。なお、以降の大会ではチーム数のさらなる増加などもあり、この方式が採用されたのはワールドカップ1982だけでした。
ワールドカップ1982では、イタリアが決勝で西ドイツを破って3回目の優勝を飾りました。優勝回数「3」は、ブラジルと並んで当時最多でした。ゴールデンボール賞(大会MVP)を獲得したのは、イタリアのパオロ・ロッシ選手です。ロッシ選手は6得点をマークし、ゴールデンシュー賞(大会得点王)とのダブル受賞となりました。
ワールドカップ1978優勝国であるアルゼンチンは、ベルギーとの開幕戦を0-1で落としたものの、その後はディエゴ・マラドーナ選手らの活躍を軸に連勝し、2次リーグへと進みました。しかし、2次リーグではイタリア、ブラジルが同居する“死のグループに入ると、2連敗を喫して敗退となりました。また、世界のサッカーシーンをけん引してきたスター、マラドーナ選手はブラジル戦で相手への報復行為を行い退場してしまいました。
同じくグループCのブラジルもワールドカップ1982を象徴するチームでした。テレ・サンタナ監督が率いるブラジルは、ジーコ選手、ファルカン選手、ソクラテス選手、トニーニョ・セレーゾ選手という、世界屈指の中盤の選手が揃い、華麗なパスワークとコンビネーションを見せる彼らは「黄金の中盤」と呼ばれました。しかしながら、2次リーグ最終戦のイタリア戦では相手のカウンターに屈して、2-3で敗れました。
3大会ぶりの出場となったイングランドも躍動しました。1次リーグでは、ブライアン・ロブソン選手やトレバー・フランシス選手といった若手の活躍も光り、全勝を収めると、2次リーグでも2試合を無失点に抑えるなど、安定感を見せました。ただし、エースのケビン・キーガン選手を初戦の負傷で欠いたことが最後まで影響して得点力不足にあえぎ、「勝ち点3」をつかめなかったことで、無敗ながら準決勝進出を逃しました。
1次リーグの西ドイツとオーストリアの一戦は“談合試合”が物議を醸しました。第1戦でアルジェリアに敗れた西ドイツは、2勝しているオーストリアへの勝利が突破条件でしたが、「西ドイツが2点差以内で勝った場合」は両者共にアルジェリアを得失点差で上回り、2次リーグに進める状況でした。アルジェリアはすでに前日に最終戦を終えていたため、西ドイツとオーストラリアの結果を見守ることしかできない状況でした。
試合は開始早々に西ドイツが先制すると、その後は両チームがロングボールを繰り返す戦いをしてタイムアップ。「西ドイツが2点差以内で勝利」したため、両チームが次のステージへ進み、アルジェリアが敗退しました。この試合は、開催地となった地名をとって「ヒホンの恥」と呼ばれています。アルジェリアは国際サッカー連盟(FIFA)に「談合試合だ」と提訴しましたが、認められませんでした。
ワールドカップ1978の2次リーグ・グループB最終戦でも、アルゼンチン対ペルーにおいて「八百長疑惑」が起きていたため、FIFAは危機感を強め、以後のワールドカップはグループリーグ突破の可能性の有無に関係なく、同一グループの最終戦は同時刻・別会場で開催されることが決まりました。このルールは現在も採用されています。
ワールドカップ1982では、「チーム1試合最多得点」が生まれました。1次リーグ・グループ3ではハンガリーは、エルサルバドルに10-1という大差で勝利を収めました。この記録は、ワールドカップ2018終了時点でも破られていない“W杯記録”となっています。
しかし、ハンガリーはその後、アルゼンチンに完敗を喫し、さらにベルギーには土壇場で同点に追いつかれるなど1勝1分1敗で1次リーグ敗退となりました。また、大敗を喫してしまったエルサルバドルは、ワールドカップ1970に続き3連敗で大会を去りました。
開催国のスペインはチーム状態が整わず、地元贔屓のジャッジにも助けられる形で、1次リーグ・グループ5を2位で突破しましたが、最後まで精彩を欠いて2次リーグ敗退となりました。また、北アイルランドはパット・ジェニングス選手の活躍もあって同グループを首位通過する健闘を見せましたが、フランス、オーストラリアと同居した2次リーグでは、フランスに1-4で敗れるなど、次のステージに進むことはできませんでした。
アフリカ勢のアルジェリアは、1次リーグ初戦で西ドイツを2-1で破る金星を含む2勝1敗、カメルーンは3試合全てに引き分けたものの、GKトーマス・ヌコノ選手の好守により3試合をイタリア戦で喫した1失点のみに抑え、ヨーロッパの強豪国を追い詰めました。
とは言え、強さを発揮したのはヨーロッパ勢です。ワールドカップ1982では、前回大会ワールドカップ1978優勝国のアルゼンチンを始め、南米勢は2次リーグまでに姿を消し、ベスト4をヨーロッパ勢が独占する結果となりました。
ワールドカップ1982 大会日程・結果
順位 | 国名 |
---|---|
1位 | イタリア(3回目) |
2位 | 西ドイツ |
3位 | ポーランド |
4位 | フランス |
優勝国はイタリア
ワールドカップ1982で優勝したのはイタリアです。1次リーグはポーランド、カメルーン、ペルーと同組のグループ1に入りました。イタリアはヨーロッパ地区予選でもユーゴスラビアに次ぐグループ2位での通過となるなどイタリア国内でも不安の声が挙がる中で迎えた大会であり、実際に1次リーグでもエースのロッシ選手が無得点に終わるなど、3戦とも引き分けと大苦戦。イタリア代表史上初めて1次リーグを勝利なしで終え、総得点数でわずか1ポイントだけカメルーンを上回り2次リーグに進む不振ぶりでした。
ですが2次リーグではアルゼンチン戦に2-1で勝利すると、続くブラジル戦からロッシ選手が“復活”。ジーコ選手ら黄金のカルテットを擁し、史上最強といわれたブラジルを相手にハットトリックの大活躍を見せ、3-2で優勝候補を下して準決勝に進出しました。
準決勝のポーランド戦でもロッシ選手が2得点を挙げ2-0で勝利すると、決勝は西ドイツと対戦します。ここでもロッシ選手の先制点を皮切りに3点差をつけて3-1で勝利。イタリアとして3回目の優勝を勝ち取りました。
準優勝国は西ドイツ
ワールドカップ1982で準優勝したのは西ドイツでした。1次リーグでは、オーストリア、アルジェリア、チリと同組のグループ2に入り、2勝1敗の首位で2次リーグに進出。2次リーグでは、初戦のイングランドに引き分けたものの、続くスペインに勝利して1位通過を決めました。
準決勝のフランス戦は、1-1で迎えた延長前半2分にトレゾール選手、さらに8分にはアラン・ジレス選手のゴールでフランスにリードを奪われました。しかし直後に怪我でスタメンを外れていたカール・ハインツ・ルンメニゲ選手が入ると流れが変わり、12分にそのルンメニゲ選手が、そして延長後半3分にはフィッシャー選手がオーバーヘッドで劇的な同点ゴールを挙げました。試合はこのままPK戦へ突入し、5-4で西ドイツが決勝に進みました。
なお、PK戦が初めて導入されたのはワールドカップ1978でしたが、同大会ではPK戦の機会がなかったため、ワールドカップ1982の西ドイツが最初のPK戦勝利チームになりました。
3位はポーランド
ワールドカップ1982で3位となったのはポーランドです。優勝したイタリアと同組のグループ1を首位で突破したポーランドは、2次リーグでベルギーに勝利し、ソビエト連邦に引き分けたものの、ここでも首位でグループを突破しました。
準決勝は1次リーグで戦ったイタリアと再戦しましたがゴールを奪えないまま0-2で敗戦。しかし、3位決定戦はフランスに先制を許したものの40分にシャルマッフ選手のゴールで追いつき、44分にマイェフスキ選手のゴールで一気に逆転。さらに46分にクプチェヴィチュ選手が決めて2点差とし、終盤に1点を返されたものの3-2で勝利しました。
決勝
日時 | 対戦カード |
---|---|
1982年7月11日 | イタリア 3-1 西ドイツ |
3位決定戦
日時 | 対戦カード |
---|---|
1982年7月10日 | ポーランド 3-2 フランス |
準決勝
日時 | 対戦カード |
---|---|
1982年7月8日 | ポーランド 0-2 イタリア |
1982年7月8日 | 西ドイツ 3-3(延長:PK戦5-4) フランス |
1次リーググループ1
順位 | チーム | 勝 | 分 | 敗 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ポーランド | 1 | 2 | 0 | +4 | 4 |
2 | イタリア | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 |
3 | カメルーン | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 |
4 | ペルー | 0 | 2 | 1 | -4 | 2 |
日時 | 対戦カード |
---|---|
1982年6月14日 | イタリア 0-0 ポーランド |
1982年6月15日 | ペルー 0-0 カメルーン |
1982年6月18日 | イタリア 1-1 ペルー |
1982年6月19日 | ポーランド 0-0 カメルーン |
1982年6月22日 | ポーランド 5-1 ペルー |
1982年6月23日 | イタリア 1-1 カメルーン |
1次リーググループ2
順位 | チーム | 勝 | 分 | 敗 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 西ドイツ | 2 | 0 | 1 | +3 | 4 |
2 | オーストリア | 2 | 0 | 1 | +2 | 4 |
3 | アルジェリア | 2 | 0 | 1 | 0 | 4 |
4 | チリ | 0 | 0 | 3 | -5 | 0 |
日時 | 対戦カード |
---|---|
1982年6月16日 | 西ドイツ 1-2 アルジェリア |
1982年6月17日 | チリ 0-1 オーストリア |
1982年6月20日 | 西ドイツ 4-1 チリ |
1982年6月21日 | アルジェリア 0-2 オーストリア |
1982年6月24日 | アルジェリア 3-2 チリ |
1982年6月25日 | 西ドイツ 1-0 オーストリア |
1次リーググループ3
順位 | チーム | 勝 | 分 | 敗 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ベルギー | 2 | 1 | 0 | +2 | 5 |
2 | アルゼンチン | 2 | 0 | 1 | +4 | 4 |
3 | ハンガリー | 1 | 1 | 1 | +6 | 3 |
4 | エルサルバドル | 0 | 0 | 3 | -12 | 0 |
日時 | 対戦カード |
---|---|
1982年6月13日 | アルゼンチン 0-1 ベルギー |
1982年6月15日 | ハンガリー 10-1 エルサルバドル |
1982年6月18日 | アルゼンチン 4-1 ハンガリー |
1982年6月19日 | ベルギー 1-0 エルサルバドル |
1982年6月22日 | ベルギー 1-1 ハンガリー |
1982年6月23日 | アルゼンチン 2-0 エルサルバドル |
1次リーググループ4
順位 | チーム | 勝 | 分 | 敗 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | イングランド | 3 | 0 | 0 | +5 | 6 |
2 | フランス | 1 | 1 | 1 | +1 | 3 |
3 | チェコスロバキア | 0 | 2 | 1 | -2 | 2 |
4 | クウェート | 0 | 1 | 2 | -4 | 1 |
日時 | 対戦カード |
---|---|
1982年6月16日 | イングランド 3-1 フランス |
1982年6月17日 | チェコスロバキア 1-1 クウェート |
1982年6月20日 | イングランド 2-0 チェコスロバキア |
1982年6月21日 | フランス 4-1 クウェート |
1982年6月24日 | フランス 1-1 チェコスロバキア |
1982年6月25日 | イングランド 1-0 クウェート |
1次リーググループ5
順位 | チーム | 勝 | 分 | 敗 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 北アイルランド | 1 | 2 | 0 | +1 | 4 |
2 | スペイン | 1 | 1 | 1 | 0 | 3 |
3 | ユーゴスラビア | 1 | 1 | 1 | 0 | 3 |
4 | ホンジュラス | 0 | 2 | 1 | -1 | 2 |
日時 | 対戦カード |
---|---|
1982年6月16日 | スペイン 1-1 ホンジュラス |
1982年6月17日 | ユーゴスラビア 0-0 北アイルランド |
1982年6月20日 | スペイン 2-1 ユーゴスラビア |
1982年6月21日 | ホンジュラス 1-1 北アイルランド |
1982年6月24日 | ホンジュラス 0-1 ユーゴスラビア |
1982年6月25日 | スペイン 0-1 北アイルランド |
1次リーググループ6
順位 | チーム | 勝 | 分 | 敗 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ブラジル | 3 | 0 | 0 | +8 | 6 |
2 | ソビエト連邦 | 1 | 1 | 1 | +2 | 3 |
3 | スコットランド | 1 | 1 | 1 | 0 | 3 |
4 | ニュージーランド | 0 | 0 | 3 | -10 | 0 |
日時 | 対戦カード |
---|---|
1982年6月14日 | ブラジル 2-1 ソビエト連邦 |
1982年6月15日 | スコットランド 5-2 ニュージーランド |
1982年6月18日 | ブラジル 4-1 スコットランド |
1982年6月19日 | ソビエト連邦 3-0 ニュージーランド |
1982年6月22日 | ソビエト連邦 2-2 スコットランド |
1982年6月22日 | ブラジル 4-0 ニュージーランド |
2次リーググループA
順位 | チーム | 勝 | 分 | 敗 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ポーランド | 1 | 1 | 0 | +3 | 3 |
2 | ソビエト連邦 | 1 | 1 | 0 | +1 | 3 |
3 | ベルギー | 0 | 0 | 2 | -4 | 0 |
日時 | 対戦カード |
---|---|
1982年6月28日 | ポーランド 3-0 ベルギー |
1982年7月1日 | ベルギー 0-1 ソビエト連邦 |
1982年7月4日 | ポーランド 0-0 ソビエト連邦 |
2次リーググループB
順位 | チーム | 勝 | 分 | 敗 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 西ドイツ | 1 | 1 | 0 | +1 | 3 |
2 | イングランド | 0 | 3 | 0 | 0 | 2 |
3 | スペイン | 0 | 1 | 1 | -1 | 1 |
2次リーググループC
順位 | チーム | 勝 | 分 | 敗 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | イタリア | 2 | 0 | 0 | +2 | 4 |
2 | ブラジル | 1 | 0 | 1 | +1 | 2 |
3 | アルゼンチン | 0 | 0 | 2 | -3 | 0 |
日時 | 対戦カード |
---|---|
1982年6月29日 | イタリア 2-1 アルゼンチン |
1982年7月2日 | アルゼンチン 1-3 ブラジル |
1982年7月5日 | イタリア 3-2 ブラジル |
2次リーググループD
順位 | チーム | 勝 | 分 | 敗 | 差 | 点 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | フランス | 2 | 0 | 0 | +4 | 4 |
2 | オーストリア | 0 | 1 | 1 | -1 | 1 |
3 | 北アイルランド | 0 | 1 | 1 | -3 | 1 |
日時 | 対戦カード |
---|---|
1982年6月28日 | オーストリア 0-1 フランス |
1982年7月1日 | オーストリア 2-2 北アイルランド |
1982年7月4日 | フランス 4-1 北アイルランド |
※表内の日時は全て現地時間
ワールドカップ1982での日本の結果・順位は?
予選での日本の活躍
ワールドカップ1982のアジア予選は当初、アジアサッカー連盟とオセアニアサッカー連盟より21チームが参加して行われる予定でしたが、イランが抽選前に参加を辞退。アジア・オセアニア地区の予選は、本大会への出場「2」枠をかけて争われました。
アジア1次予選でグループAに入った日本は、初戦で中国に0-1で敗れましたが、続くマカオには3-0で勝利し、1勝1敗のグループ2位で準決勝進出を決めました。しかし準決勝で北朝鮮に0-1で敗れ、悲願のワールドカップ出場はなりませんでした。
まとめ
今回はスペインで開催されたワールドカップ1982の大会結果や優勝したイタリアの戦い、他にも大会を彩った各国の戦いを詳しくお伝えしました。共に3回目のワールドカップ優勝を目指したイタリアと西ドイツの決勝は、MVPと得点王をダブル受賞したイタリアのロッシ選手の活躍が際立ちました。一方で、ロッシ選手は1次リーグまでは絶不調だっただけに、“エース”の存在が大会の行方を大きく分ける結果となりました。
ちなみにワールドカップ1982は、FIFAが初めて賞金を出した大会でもありました。1次リーグごとに計100万スイス・フラン(当時の金額で約1億2083万円)が配られ、総額4200万スイス・フラン(当時の金額で約50億7499万円)が支給されました。
ワールドカップ2018の例でいえば、1次リーグに出場したチームには、賞金として800万ドル(約8億8千万円)、準備金として150万ドル(約1億6千500万円)が分配されたということです。開催中のワールドカップ2022は、どの国が多額の賞金を手にするのか。出場各国がどんな順位になるのか想像するだけでもワクワクしてきますね。