長年トップジョッキーとして競馬界を牽引し、2020年にはコントレイルでクラシック三冠を達成した福永祐一さん。父・洋一さんも騎手だったため幼少期から“馬一筋”かと思いきや、競馬学校に入る直前までサッカー部に所属し、デビュー後も騎手仲間と結成した「サッカー部」の部長を務めるほどの“フットボール愛好家”だ。少年時代にあこがれた選手や、現在の騎手生活にも通じる好みの「スタイル」について話を聞いた。

――福永さんは小学校、中学校とサッカー部だったとのことですが、始めたきっかけは?

福永 学校が私立の1学年1クラスくらいしかないところで、部活もサッカー部と放送部しかなかったんです。それで小学3年生の時にサッカー部に入りました。『キャプテン翼』が人気の頃でしたしね。

 中学卒業後は競馬学校に入りましたが、それまではサッカー一筋でしたね。中学時代は通学に片道1時間半くらいかかったんですけど、朝練も休まず行ってました。一方でジョッキーへの興味もあって、小学5年生の時に栗東トレーニングセンターの乗馬苑で乗馬も始めたんです。でも日曜日のサッカーの試合に出られなくなって、乗馬の方を1年間でやめちゃって(笑)。チームは県大会に進めるかどうかのレベルで、僕はぎりぎりレギュラーという感じ。中2の時にブロック予選を勝ち抜いて県大会出場を決めたときの嬉しさは忘れられないです。

――ポジションはどこでしたか?

福永 左のサイドハーフでした。足も速くないし、身体能力はそんなに高くないけど、器用で、パスは他の人よりちょっとうまく出せるというタイプ。僕、右足も左足も同じように使えるんです。箸も両方使えますし。ジョッキーは鞭を両手で使えないといけないので、その点は役立っています。

オランダの影響を受けたサッカー少年時代

――好きなチームや憧れの選手は?

福永 Jリーグはまだなくて、最初はとにかく『キャプテン翼』、滝くんのライン際のドリブルを真似してやってました(笑)。そのうちテレビで試合を観るようになって。ワールドカップでいえば1986年メキシコ大会や1990年イタリア大会かな。マラドーナの全盛期なんですが、僕はオランダが好きでしたね。ファンバステン、フリット、ライカールトの時代で、特にフリットが好きでした。自分がパサーになったのもオランダのサッカースタイルが影響していたのかもしれません。

 スーパーファミコンの『スーパーフォーメーションサッカー』でも、いつもオランダを使ってました。ゲームは好きで、20代前半の頃は『ウイニングイレブン』をジョッキー同士でよくやってましたね。

――その後、実際のサッカーをする機会は?

福永 ジョッキーのサッカー部があって、以前は部長をしていたこともあります。メンバーは四位洋文(現調教師)さんとか、幸英明さんとか。僕は真ん中で走らず、みんなにパス出してました(笑)。そもそもジョッキーって牧場、厩舎と繋がれてきたバトンを最後に受けて結果を出す仕事。必然的にゴールを狙うストライカー気質の人が多いのですが、僕はチームで馬を作り上げてレースで勝つことに喜びを感じるタイプなんです。武豊さんなんかはまた違っていて、完全にストライカータイプ。過程は任せて、自分は最後に結果を出すことに専念するザ・ジョッキーです。サッカーでもパスが好きで司令塔だった僕は、ジョッキーとしてのスタイルも異質ですね。

コントレイルの引退レースとなった21年のジャパンカップ。2馬身差をつけての有終の美に、福永騎手も涙した ©Keiji Ishikawa
コントレイルの引退レースとなった21年のジャパンカップ。2馬身差をつけての有終の美に、福永騎手も涙した ©Keiji Ishikawa

――過去のワールドカップで印象に残っている試合を教えて下さい。

福永 2002年日韓大会の日本対ベルギー(GL初戦、2-2)です。あの試合は埼玉スタジアムで観てました。当時、ガンバ大阪の選手と交流があって、ワールドカップの試合なんてもう観られないかもしれないと思って、席を取ってもらったんです。稲本(潤一)くんがゴールを決めた瞬間の興奮とスタジアムの盛り上がりは、今も覚えてますよ。

 ガンバで親交があったのは、ヤット(遠藤保仁)、明神(智和)くん、山口智くんとか。向こうも競馬が好きで競馬場に来たりしてましたね。僕も万博(記念競技場)に試合を観に行きましたし、キックインセレモニーもさせてもらいました。なんならガンバの納会にも顔を出したりもしてました(笑)。

サッカー選手から学ぶこと

――そういうアスリート同士の交流は、やっぱり勉強になることもありますか?

福永 ありますね。いちばん共有するのは怪我の治療や体のケアの情報です。いろんなジャンルの方の話を聞いてきましたけど、特にサッカー選手は選手寿命が短いので、僕たちよりもはるかに怪我への意識が敏感だと感じます。今も現役の三浦知良さんに限らず、やっぱりみんなストイックですよ。ヤットも、なんにもやってなさそうな雰囲気出してるけど、そんなわけないんですよね。

――ワールドカップ以外で印象に残っているサッカーの試合はありますか?

福永 イギリスのアスコット競馬場で毎年、シャーガーカップというジョッキー招待レースが行われるんですが、2006年に呼ばれたときに、ロンドンのスタンフォード・ブリッジでチェルシー対セルティックを観ることができたんです。ちょうどセルティックに中村俊輔選手がいる時で、試合はものすごく面白かったし、スタジアムも素晴らしかったんですが、それ以外にもいろいろ強烈でした。

――何があったんですか?

福永 イングランドとスコットランドって仲が悪いでしょう。それで試合後、僕はセルティック側の席にいたんですが、ホームのチェルシーのサポーターが帰るまで出られないんです。一緒に帰ると揉めるから。そのうちセルティックのサポーターが早く出せって怒り出すわ、そのへんの階段で小便し始めるおっさんがいるわで。ようやくスタジアムから出られると思ったら、今度は沿道の家の人とサポーターが揉めて、家からビンが飛んできたりして。すげえなと思いながら帰りましたよ。もうこれはエンターテイメントじゃないんだなって(笑)。

少年時代はサッカーに熱中していただけあり、撮影時には見事なリフティングを披露した  ©Takuya Sugiyama
少年時代はサッカーに熱中していただけあり、撮影時には見事なリフティングを披露した  ©Takuya Sugiyama

“観戦者”としての醍醐味

――最近の日本代表の試合はご覧になっていますか?

福永 結婚をしてからはスタジアムへ行くこともなくなりましたし、昔ほど熱心ではないですが、観てますよ。でも日本もずいぶん変わりましたよね。普通に海外のクラブで活躍している選手ばっかりで。競馬はまだ日本人ジョッキーが海外でそこまでの活躍をするところまでは行ってませんけど、いずれ出てくるんだろうとは思っています。日本人が持つ繊細な感覚を武器にしたジョッキーが、世界で活躍する時代が絶対に来る、と。

――そんな世界で戦う日本代表選手の中で、今いちばん期待している選手は誰ですか?

福永 三笘(薫)選手は明らかに存在感が違いますね。なんでいつも途中からの出場なのかな、最初から入れときゃいいのに、とも思うけど(笑)。森保(一)監督からしたら何か明確な理由があるんでしょう。まあ、こうやってああだこうだ言うのは見る者の醍醐味、素人の特権ということで。

――ジョッキーも、ああだこうだ言われる仕事ですよね。

福永 例えば4着だと馬券を買ってる人には不満でも、関係者は「よくこの馬で4着に来てくれた」と喜んでくれて、それでまた騎乗依頼を頂ける場合がある。それと同じで、選手を選ぶのは監督で、見ている人は不満でいろいろ言っても、監督がいい内容のプレーだと思えばまた使われるということなんでしょう。僕は昔から代表監督は日本人がいいと思ってきましたし、森保監督には批判に負けないような采配を期待しています。

相手が強いとテンションが上がる

――このカタール大会、日本代表はスペイン、ドイツと同組という厳しいグループに入ったと言われています。

福永 すごいとこに入りましたよね。でも選手は絶対に楽しみで、モチベーション上がってると思いますよ。僕もそうですから気持ちはわかるんです。トップクラスのジョッキーと一緒に乗る時は、めちゃめちゃテンション上がりますから。ただ監督だけは楽しむどころじゃないかもしれないですけど(笑)。

――福永さんは日本代表の試合、ライブで観られそうですか?

福永 初戦のドイツ戦は水曜日の夜10時だから観られます。コスタリカ戦は日曜日……ジャパンカップ当日の夜7時ですか。競馬の後で時間的には大丈夫だけど、移動中だったりしたら……。でもABEMAならスマホで観られますからね。もしくは絶対にニュースで結果を見ないようにして家に帰ってから観るか(笑)。金曜日は僕は調教がないので、朝4時のスペイン戦も大丈夫。やっぱりスポーツはリアルタイムで観てこその興奮ってありますからね。

(構成=軍土門隼夫)

©Takuya Sugiyama
©Takuya Sugiyama

福永祐一(競馬)(ふくなが・ゆういち)

1976年12月9日、滋賀県生まれ。デビューした96年に53勝を挙げ、JRA賞最多勝利新人騎手を獲得。99年桜花賞でプリモディーネに騎乗し、GI初勝利。20年にはコントレイルとのコンビでクラシック三冠を達成。22年9月時点で重賞通算159勝、GI34勝を挙げている。