FIFAワールドカップカタール2022はアルゼンチン代表の優勝で幕を閉じた。ワールドカップに関わる様々な人々の物語は、ピッチ上で繰り広げられた激闘と同じように、観る者の心を掴み、選手たちとをつなぐ媒介となっていた。W杯は世界一を決める戦いであると同時に、サッカーの持つ力を改めて感じさせるものでもある。(文:ショーン・キャロル)

●ワールドカップという物語

 リオネル・メッシがついに世界チャンピオンに輝き、2022年のFIFAワールドカップ決勝戦を見事に締めくくった。この世代で最も偉大な選手、おそらく史上最高の選手が、ゴールデンボール賞を受け取り、有名なゴールドトロフィーにこっそりキスをする姿は、オークランドからアラスカまで、あらゆるサッカーファンの心を温めてくれたことだろう。

 結果的にフランス代表はアルゼンチン代表に勝利のチャンスを与えたが、ディディエ・デシャン監督率いるチームは最初の75分間は劣勢に立たされながら、特にキリアン・エムバペは気迫あふれる反撃で延長戦に持ち込んだ。何度となく勝利をもぎ取ろうとし、最近のワールドカップでは最もスリリングで面白い決勝戦を演出した。

 メッシやエムバペの活躍もさることながら、私にとっての最大の見どころだったのは、カタールのピッチで何が起こったかよりも、サッカーを媒介として世界中とつながりながら、そこで書かれた物語がいかに共鳴しているかということである。

 例えば、大会期間中、私は出場国のほぼ半数の友人や同僚と連絡を取り合った。表向きは試合のこと、選手やファンのことを話すと同時に、政治問題や家族、キャリアについて話をする機会にもなった。このように社会の潤滑油として機能するのはサッカーだけではないが、これほど大規模に、つまり人と人との絆を作り、強化することができるスポーツはサッカーだけであることは間違いないだろう。

●その瞬間、メッシがサッカーの神であることを忘れた

 さて、日曜日の公式トロフィー授与を前にしたルサイルスタジアムのピッチ上の様子を見てみよう。大会が進むにつれてますます過剰に組織化され、不毛なプロセスとなり、祝賀ムードを盛り上げるどころか、むしろ損なわせているこのショーの準備が行われる中、何千ものカメラのレンズが、アルゼンチン代表の選手とスタッフに向けられ、彼らは互いに、そしてファンと共に成功の最初の瞬間を味わった。

 数分後、メッシがスタンドに降りてくる人を熱心に手招きしているのが見えたが、ほどなくして、アルゼンチン代表のシャツを着た興奮した人物に背後からつかまれた。

 メッシは最初、驚きや不満の表情を浮かべていた。FIFAがインフルエンサーを早くも解放し、不愉快なソルトベイ(注:ピッチに乱入して選手らと写真を撮り、トロフィーにキスをして波紋を呼んだトルコ人シェフ)が自分に声をかけていると思ったのだろうか。

 しかし、その驚きの表情は一瞬にして消え去った。彼は満面の笑みを浮かべ、“侵入者”である自分の母親と固く抱き合ったのだ。

 この瞬間、メッシがGOAT(歴史上もっとも偉大な選手)であり、ブランドであり、アルゼンチンサッカーの神であることを忘れ、私たちは彼の人間性、そしてサッカーで何ができるかに関係なく、彼が1人の生身の人間であるという事実を思い知らされた。

 多くの人にとってスーパーヒーローであっても、ある人にとっては単なる息子であり、夫であり、父親である。究極の栄光への旅は彼一人のものではないのだ、という事実がそこにはあった。

●「だから私はサッカーが好きなのだ」サッカーが持つ力とは?

 モロッコ代表がポルトガル代表を倒し、アフリカ勢として初めての準決勝進出を決めた後、モロッコ代表のソフィアン・ブファルがピッチ上で母親とダンスし、前立腺癌と戦うオランダ代表監督ルイ・ファン・ハールは、選手たちと思いのままキスをしていた。アメリカ人ジャーナリストのグラント・ウォールがオランダ代表対アルゼンチン代表戦の取材中に悲劇的な死を遂げ、サッカー界からは溢れんばかりの愛情が寄せられるなど、大会を通してこうした人間の話が目につくようになった。

 また、チュニジア代表とモロッコ代表がかつて植民地であったフランス代表とスペイン代表に勝利したことは、両国に歓喜の瞬間をもたらした。サウジアラビア代表とカメルーン代表もグループリーグで南米の強豪アルゼンチン代表とブラジル代表に大勝し、選手とサポーターに一生の思い出を与えてくれた。

 そしてもちろん、日本代表もそうだった。グループステージでドイツ代表とスペイン代表を撃破し、世界中に衝撃を与え、ラウンド16では惜しくも敗退することとなった。

 決勝戦後、アルゼンチン代表が歓喜に沸く中、NHKの解説者をしていた森岡隆三は「いつかサムライブルーがこのような喜びを味わう姿を見たい」と言った。しかし、忘れてはならないのは、このような瞬間は大舞台に限ったことではなく、スポーツには毎週末、選手とファンとの間にこのようなつながりを提供する力があるということである。

 サッカーは戦術や統計、肉体的な決意だけでなく、ピッチを離れたところにそれぞれの人生や個性、葛藤を持った人間によってプレーされているのです。メッシがドーハで味わったような見返りはもちろん少ないが、こうした物語の一つひとつは、一度物語に入り込めば、同じように満足することができる。

 だから私はサッカーが好きなのだ。ワールドカップが終わり、2023年に全国のスタジアムで繰り広げられるドラマの中に身を置くために、Jリーグの新しいシーズンが待ち遠しいのである。顔ぶれは変わっても、サッカーに終わりはない。

(文:ショーン・キャロル)

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