■クラブに関わった3選手がカタールW杯代表に
カタールW杯に臨む日本代表が、現地でのトレーニングをスタートさせている。Jリーグを終えた国内組は11月9日に日本を発ち、翌10日夕方にはホテルのジムで汗を流した。11日からは練習拠点となるアルサッドのトレーニングセンターで、最終調整を進めていく。
国内組の多くが離日した9日午後には、湘南ベルマーレの町野修斗が記者会見に臨んだ。中山雄太の負傷で追加招集されたストライカーの声を聞こうと、会場には多くのメディアが集まった。
W杯での目標を聞かれた町野は「3得点いきたいです」と即答した。7月のE-1選手権で有言実行した数字を、今回も掲げたのだった。
会見場の後方には、ベルマーレの眞壁潔代表取締役会長の姿があった――。(#1、2のうち2)
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かつては涙ながらにクラブを離れた選手もいた。育成組織出身の遠藤航は、そのひとりだっただろう。
彼は2015年オフに浦和へ完全移籍したが、自身のキャリアデザインだけでなくクラブの経営に少しでも寄与したい、との思いも抱いていた。当時のベルマーレは責任企業を持たなかったので、遠藤が置き土産とした移籍金は大きな価値を持ったに違いない。
カタールW杯のメンバーには、その遠藤が2大会連続で選ばれている。また、川崎フロンターレ所属の山根視来は、ベルマーレでプロキャリアをスタートさせた選手だ。クラブに関わったという意味では、3人の選手をカタールW杯へ送り込むことになる。
「町野がW杯の代表入りするまでになったのは、本人と現場の頑張りがあったからこそです。その選手にもし海外へ移籍するチャンスが来たら、無理やり縛る理由はないと思うんです」(眞壁会長)
近年ではアカデミー出身の齊藤未月を、20年12月にロシア1部のルビン・カザンへ送り出した(現在はベルマーレからガンバ大阪へ期限付き移籍中)。ほぼ同じタイミングで、入団2年目のシーズンを終えた鈴木冬一がスイス1部のローザンヌへ完全移籍した。東京五輪世代でもあった豊かな才能を、ふたり同時にステップアップさせたのだ。
今年7月にもアカデミー出身の田中聡が、ベルギー1部のコルトレイクへ期限付き移籍している。パリ五輪世代のひとりであるこのセントラルMFも、ユース在籍時からトップチームで起用されてきた。
■「育った選手を出すのは残念でも…」
眞壁が話す。
「自分たちのもとで育った選手を出すのは残念だけど、いなくなるから違うスイッチが入ってまた選手が育つ、というところはあります。それから、ウチを離れていった選手が行った先で活躍する、代表に選ばれる、海外へ移籍するといったことを、クラブを応援してくれる人たちが受け入れてくれている。それを続けているうちに少しずつ前進して、いつの日かJリーグの優勝シャーレを取れたらもっとハッピーだね、という思いを共有しているのは、私が言うことではないですがすごいなと。
筆頭株主のライザップさんもユニフォーム胸スポンサーの三栄建築設計さんも、現場のことには一切口出しをしないし、今回の町野の代表入りもすごく喜んでくれています」
2000年に市民クラブとして再生し、10年目の09年にJ2からJ1へ昇格をした。その後は3度のJ2降格とJ1昇格を経て、18年からJ1に定着している。
予算規模を見ると、J1ではまだ控え目な数字だ。18年にルヴァンカップを獲得したが、リーグ戦でタイトルを争うには経営基盤をさらに強化したいだろう。眞壁が言う。
「我々経営サイドがもっと数字をあげて、98年のようにW杯へ4人ぐらい送り出せるようなクラブにしていかないと。W杯の代表に選ばれて嬉しそうにしている町野を見ていて、そういう責任を強く感じました」
中田英寿氏、小島伸幸氏、呂比須ワグナー氏が日本代表として、洪明甫氏が韓国代表として1998年のフランスW杯に参加した当時は、「ベルマーレ平塚」だった。「湘南ベルマーレ」としてW杯代表を輩出するのは、今回が初めてである。
21世紀の日本社会で、サッカークラブはどうあるべきなのか。地域社会とどのように向き合っていくのか。クラブとしての存在意義を問い続けた先に、今回の町野の代表入りがあった。ホームタウンやスポンサー、アカデミーなどへの波及効果も見込まれ、ベルマーレのこれからが注目される。