[カタール・ワールドカップ ラウンド16]日本1(1PK3)1 クロアチア/12月5日/アル・ジャヌーブ・スタジアム

 ワールドカップは、絶対に失敗の許されないテストだと思われている。確かに注目度の高さがほかの大会とはケタ違いなので、結果が出なければダメージは計り知れないのかもしれない。

 そこで森保一監督は「理想と現実」の狭間で葛藤した。4年間積み上げた集大成をぶつけて結果に繋がるのは理想だ。だが、戦う相手を見れば、それが難しいというのが現実だった。

 森保監督はワールドカップに入り、明らかに変わった。それは日本に結果をもたらすために、苦渋の決断を繰り返した末の変貌だったに違いない。典型的な慎重居士が未検証の戦い方を提示し、選手たちも必死にそれを体現しようと努めた。温情派の一面は捨て去り、ツキも含めて結果を出した選手の起用にこだわった。

 この4年間、失敗をした選手には必ず捲土重来のチャンスを与えてきたが、とうとうクロアチア戦では、コスタリカ戦で精彩を欠いた上田綺世や伊藤洋輝というカードは選択せず、柴崎岳も大会を通してピッチに立たせることはなかった。
 
 率直に、この日のクロアチアが相手なら「新しい景色を見る」千載一遇のチャンスだった。グループステージの3戦を通して、すっかり疲弊したクロアチアは、ロングボールと日本のミス絡みでしか活路を見出せそうになかった。

 日本は30分過ぎから徐々にゲームを支配し始め、その流れのなかからセットプレーを活かし、先制に成功している。もしこれが、グループステージで大会直前まで準備をしてきた4-2-3-1で対等に渡り合っていたら、もっとスリリングな展開で勝利に近づけたかもしれない。

 しかし、森保監督への最大の命題は、ドイツかスペインを抑えてグループステージを突破することだった。ここで2つの強国を相手に成功した戦い方を変えるのは、たぶん選手たちの心理状態を考えても得策ではなかった。だがコスタリカ戦を除けば、守備に奔走する時間が長かった分だけ、選手たちの疲労は蓄積していた。

 総体的に高い位置に押し上げて戦う時間があまりに限定されたために、鎌田大地、久保建英、南野拓実ら攻撃陣の特長を引き出せず、何よりアジア予選で最も輝いていた伊東純也や三笘薫をアタッキングサードで活用する機会が減った。

 延長前半には、三笘が60メートル前後をドリブルで運びシュートを放ったが、これは逆に堅固な守備を手にする代わりに攻撃の厚みを担保できず、「戦術三笘」に陥っている状況を物語っていた。
 
 今では黄金期を謳歌しているフランスだが、長期化した低迷期を経て新時代の扉をノックしたのは1978年アルゼンチン大会だった。1次リーグで、優勝したアルゼンチン、次回大会優勝のイタリアと同居し、いきなり連敗で敗退が決まったが、ミシェル・プラティニらを中心とした創造性に満ちた攻撃力がインパクトを与え、4年後、8年後には連続してベスト4。彼らの時代には世界の頂点に立てなかったが、世紀末には初優勝を飾り、歴史は現在へと連なっている。

 今大会の森保監督は、立派に4年に一度のテストには合格した。しかもドイツやスペインを下してのグループステージ首位通過なので、花丸付きの成績だ。だが反面、どうやって日本が世界に伍していくのか、という明確な方向性を提示するまでは至らなかった。あるいは根底には、まだ対等に渡り合うのは難しい、という冷静な判断があった。
 
 優勝経験を持つ圧倒的な格上の強国を下したことで紛れもなく「新時代」の到来を予感させたが、この戦い方の先に頂点が見えてくるという展望までは持てなかった。

 ただし代表監督の役割は、あらゆる指導環境を経て育ってきた選手たちを効率的に活用するリレーのアンカーのようなものなので、職責は全うした。むしろこの先の道を切り拓くのは全国の育成に携わる指導者で、そういう意味でも最も重要なカギを握るのは技術委員会なのだと思う。

文●加部究(スポーツライター)

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