もはや疑いの余地はないだろう。リオネル・メッシがアルゼンチン代表のボスであることだ。

 バルセロナのカンテラで指導を受け、長年、カステルデフェルス(バルサ時代にメッシが自宅を構えていたバルセロナ郊外の街)の住民となり、昨年からカラフルに彩られたパリでネイマールやキリアン・エムバペのチームメイトになった、「優等生」のイメージが定着していた我々ヨーロッパの人間には、これほどアルゼンチン人化、もっと言えばマラドーナ化した姿が奇異に映った。準々決勝のオランダ戦での雷のようなパフォーマンスは、母国アルゼンチンでも驚きの反応があったかもしれない。

 授業中、先生の質問に答えるのに窮して友人の仲介を必要としたロサリオでの少年時代。アントネラ・ロクソと永遠の愛を誓い合ったティーンエイジャー時代。自分の意見を述べるのに腹話術師を必要としていた若手時代。そんな彼が35歳になると、アルビセレステ(アルゼンチン代表の愛称)を守るために苦言を連発する火山となった。
 
 母国で「ペチョ・フリオ」(冷たいハートの持ち主)と蔑まれていた選手は、必要に応じてマラドーナばりに不当な扱いに怒りを示すボスへと変貌を遂げた。今やメッシは、マラドーナと並ぶアルゼンチン国民の誇りである。

 メッシは、試合とマインドゲームを楽しんでいる様子だった。激しい気性と闘争心をむき出しにし、芸術的なプレーを披露した。因縁づくめの一戦は、感情をコントロールするのが困難なワールドカップの大一番に相応しい試合となった。

 対戦相手と戦うだけでなく、エゴの塊のようなマテウ・ラオスのレフェリングの基準を超えた裁定にも異議を唱えなければならなかった。しかしメッシは、その介入好きの主審にダメ出しをし、敵将のルイス・ファン・ハールとの心理戦を制した。

 後半途中まではメッシの独断場だった。ナウエル・モリーナの先制弾をアシストし、PKを沈めてリードを広げた。

 試合は時間を経過するにつれヒートアップし、乱闘騒ぎに発展。レアンドロ・パレデスが相手ベンチめがけてボールを蹴り込み、試合終了後には、PK戦の主役となったエミリアーノ・マルティネスをはじめアルゼンチンの選手たちが、敗者の傷口に塩を塗り込むような行為を繰り返した。

【動画】「なに見てんだよ!」試合後のインタビュー中にオランダ代表FWにブチ切れるメッシ
 メッシ自身も、前述のPKを蹴り込んだ後、ファン・ハールの前で、ファン・ロマン・リケルメの専売特許だった両耳に手を当てるトッポ・ジージョのゴールパフォーマンスを再現して見せつけた。

 ファン・ハールは、バルサ監督時代にリケルメを冷遇したことで知られる。また試合前日には、前回両チームが対戦した2014年W杯準決勝を引き合いに出して、メッシの代表における重要性について疑問を投げかけていた。

 アルゼンチンにはかつてベテラン選手だけが座ることが許される小さなテーブルがあった。デビュー当初のメッシは、リケルメから、「ここから出て行くんだ。坊やが来るところではない」と締め出されたことがある。年数が経過すると今度は当の本人がその席を陣取る重鎮となっていた。
 
 しかしメッシが若いチームのリーダーに君臨するようになって以来、その悪しき慣習は断ち切られた。今や全選手が、W杯敗退の危機に追い込まれたチームを救ったキャプテンに敬意を抱いている。

 我々ヨーロッパの人間にとってどんなに苦痛なことであっても、ことアルゼンチン国内においては、メッシがボスとして振る舞うことほど代表が支持されることはない。その姿はもはやアルバセテのアイコンと化している。昨年のコパ・アメリカ(アルゼンチンが優勝)を境にアルゼンチンは国を挙げてメッシに全てを託し、10番は悲願のW杯制覇に向けて邁進している。

文●ラモン・ベサ(エル・パイス紙バルセロナ番)
翻訳●下村正幸

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