アルゼンチンがW杯を勝ち取った最大の要因が「メッシ」だという評価は間違いではないだろうが、メッシの力では及ばない戦いがそこにはあったことも事実だ。

PK戦である。こればかりはメッシが相手のPKを止めるわけにはいかない。

だがアルゼンチンは、2度のPK戦に臨み2勝した。だから優勝したのだ。

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ノックアウトステージで敗退した15の国のうち、PKによって前に進むことができなかった国が4つもある。フランス、オランダ、スペイン、そして日本。

PK戦をただの「クジ引きのようなもの」「運次第」と言う人もいるが、「PKは確実に技術によって勝率が変わる」という人もいる。

技術の範囲で言えば「PK職人」と言われる選手が延長戦に交代で投入されることもそうだろうし、さらに技術の影響力があるのは、なんといっても「ゴールキーパー(以下GK)」だろう。

アルゼンチンにはエミリアーノ・マルティネスがいた。オランダ戦のPK戦が決着したとき、メッシは誰よりも先にマルティネスに抱きつきにいった。W杯前年のコパ・アメリカでも優勝したアルゼンチンは準決勝をマルティネスの見事なセービングでコロンビア相手にPK戦で勝利している。

アルビ・セレステ(アルゼンチン代表の愛称=選ばれた白と水色の意味)の正GKとしてPK戦に臨んだマルティネスは3戦3勝だ。おそらくこれは「運」ではない。

マルティネスとはどんな男なのだろう?

彼はアルゼンチンの中でも貧しい地域に生まれ、幼い頃から父親と母親が毎日毎日遅くまで働く姿を見て育った。時に自分たち(子どもたち)のために、両親が食事を我慢するところも見てきた。

だから、家族のもとを離れ、言葉も通じない「イングランド=アーセナル」への移籍を、周囲の反対を押し切って17歳で決断したのも「両親を楽にさせたい」一心だったからだという。

しかしアーセナルの移籍は彼の人生の波乱の始まりでしかなかった。レギュラー争いにも入れず、試合に出られない状況が続き、出番を求めローン移籍を繰り返した。6つのチームを渡り歩いたが正GKの座は掴めないまま17歳の少年は28歳になっていた。

GKは過酷だ。いくら優秀でも1試合に2人のGKをスタメンに使うことは出来ない。そして監督は安定を求め、実績のあるレギュラーGKを使う。マルティネスはいつやってくるかわからないチャンスを、いくつものクラブを渡り、10年待ち続けることになった。2年や3年ではない。10年もだ。

そして7つ目のチーム、アストン・ヴィラで彼はチャンスを掴み、そのままアルゼンチン代表に召集され、そしてとうとう、母国の正GKにまでなった。

決勝戦の119分。延長終了1分前の「コロムアニ」との1対1を止めていなければ、今頃黄金のトロフィーはフランスに再び帰っていったはずだ。そのフランス行きを阻んだのもマルティネスである。

マルティネスはインタビューに答えるなかで若い人たちにこんなメッセージを贈っている

「もし君たちが本当に何かを達成したいと思うのなら、それはきっと叶うはずだ。でも、そのためには、夜遊びとか、お酒、友達と踊りに行くことなんて考えないことだ。夢の実現だけを24時間ずっと考え続け、努力し続けることだ」。

マルティネスにはマルティネスのW杯がカタールにあったのだ。アルゼンチンのゴールマウスには、自分の意思で自分の人生を切り拓く男が立っていた。

(ABEMA/FIFAワールドカップ カタール 2022)