熱狂のFIFAワールドカップカタール大会(カタールW杯)が閉幕した。日本時間12月19日の歴史に残る激戦となった決勝戦(アルゼンチンVSフランス)では、アルゼンチン代表FWリオネル・メッシが2得点、フランス代表FWキリアン・ムバッペが3得点と、両チームのエースが期待通りにゴールネットを揺らした後、PK戦の末にアルゼンチンが36年(9大会)ぶり3度目の優勝を果たした。
直後からアルゼンチンでは国中がお祭り騒ぎ。政府が急遽決勝翌日を祝日にすると、首都ブエノスアイレスで実施された凱旋パレードでは推定500万人以上が集結した。さらにアルゼンチン中央銀行がW杯優勝を記念して「メッシ紙幣」の発行を検討。5度目のW杯出場で悲願の戴冠となった“神の子”メッシが「神」となり、生ける伝説として、ディエゴ・マラドーナ(2020年11月25日没)を超えるアルゼンチン史上最大の英雄になったと言えるだろう。
そして過去のW杯でも、決勝戦でゴールを決めた選手たちは、やはり母国でヒーローとして崇められた。改めてW杯決勝戦でゴールを決めた印象に残るレジェンドたちを振り返りたい。
キリアン・ムバッペ(フランス代表)2018年ロシアW杯
A代表デビューから約1年後に背番号10を背負ってロシアW杯に出場すると、瞬く間に世界中のサッカーファンを虜にしたフランス代表FWキリアン・ムバッペ。圧倒的なスピードを武器に敵陣を切り裂きながら、グループステージ第2戦のペルー戦で1得点、ラウンド16のアルゼンチン戦で2得点を奪う。
そしてクロアチアとの決勝戦。3対2で迎えた65分、左サイドを突破したエルナンデスのパスを中央で受けて前を向くと、一旦右足で外側にボールタッチするや否やペナルティーエリア外から鋭く右足を振り抜き、GKの逆を突く抑えの利いた強烈なシュートをゴール左にねじ込んだ。
当時19歳207日のムバッペ。10代でW杯決勝に出場した選手は、ペレ(ブラジル)とジュゼッペ・ベルゴミ(イタリア)以来、史上3人目。さらにW杯決勝でゴールを決めたのは、ペレ以来の偉業である。ゴール後、お馴染みとなったゴールパフォーマンスを目の当たりにした誰もが「ムバッペ時代到来」を予感することになった。
マリオ・ゲッツェ(ドイツ代表)2014年ブラジルW杯
2014年ブラジルW杯当時、26歳だったドイツ代表MFマリオ・ゲッツェ。ヨアヒム・レーヴ監督率いるチームの一員として、準決勝では地元ブラジルを7対1で葬り去ると、迎えたアルゼンチンとの決勝戦の88分から途中出場した。
1点を争う死闘となった末、スコアレスのまま迎えた延長後半の113分に大仕事。DFラインからボールを繋いだ後、シュールレが左サイドをドリブルで持ち上がる間に左サイドから中央にポジションを移動すると、シュールレのクロスをゴールエリアの角で胸トラップ。そのままボールを地面に落とすことなく、滑り込みながら左足ボレーで逆サイドネットへ叩き込んだ。
高い技術と勝負強さ。ドイツ国中を熱狂の渦に巻き込んだ「伝説の胸トラップボレー」。大会終了後、W杯優勝ゴールを生んだゲッツェのスパイクは、オークションで200万ユーロ(約2億8000万円)の高額で落札されることになった。
アンドレス・イニエスタ(スペイン代表)2010年南アフリカW杯
無敵艦隊と言われながら失態を繰り返してきたスペインが、唯一W杯の頂点に立った2010年南アフリカ大会。華麗な「ティキ・タカ」を用いて決勝まで勝ち上がると、肉弾戦を挑んできたオランダに手を焼きながらも、0対0で迎えた延長後半の116分にMFアンドレス・イニエスタが歓喜を生む。
自陣からDFヘスス・ナバスが、ドリブルで持ち上がった後のこぼれ球を右足ヒールで味方に繋ぐと、そのまま前線へ駆け上がる。左サイドからのクロスは自身の手前で跳ね返されたが、再びボールを拾ったMFセスク・ファブレガスからのパスを右サイドに開きながら受けると、トラップで浮いたボールに渾身の右足ボレーでゴール左隅に突き刺した。
当時26歳だった物静かな男イニエスタは、力強く雄叫びを上げた。警告覚悟で脱いだユニホームの下のアンダーシャツには「ダニ・ハルケ、僕たちはいつも共にある」と、前年に心不全で急死したスペイン人DFにメッセージ。その姿に多くの者が涙。7月11日は「スペインサッカー史上最高の日」となった。
ロナウド(ブラジル代表)2002年日韓W杯
デビュー以来、爆発的なスピードとパワー、優れたボールテクニックで次々とゴールネットを揺らして「イル・フェノーメノ(超常現象)」と謳われた元ブラジル代表FWロナウド。右膝靭帯断裂の大怪我から復帰した後、25歳で自身3度目のW杯となる2002年の日韓大会でついに戴冠となった。
当初はメンバー入りも危ぶまれ、大会開幕後も決して万全のコンディションではなかったが、準決勝までの6試合で6点を奪って結果を残す。そして“大五郎カット”で臨んだドイツとの決勝では、前半こそGKオリバー・カーンを中心とした鉄壁の守備に苦しんだが、67分にMFリバウドのミドルシュートをカーンが前方にこぼした隙を見逃さずにロナウドが嗅覚鋭く先制ゴール。さらに79分には、右サイドからのグラウンダーのクロスに反応し、右足トラップの後、冷静に右足でゴール右隅に流し込んだ。
その4年前の1998年フランスW杯では、決勝前日に原因不明の痙攣で倒れた影響もあってフランスに0対3の大敗を喫したが、その借りを返すとともに自身の“怪物ぶり”を見せつけた決勝での2得点だった。
ジネディーヌ・ジダン(フランス代表)1998年フランスW杯
まさに「英雄」だった。元フランス代表MFジネディーヌ・ジダンは、背番号10の司令塔として地元開催のW杯に出場。期待を一身に背負った中で、グループリーグ第2戦のサウジアラビア戦で相手を踏みつけて一発退場(2試合の出場停止処分)となる。
だが戦列復帰後は、持ち前の正確無比なボールコントロールと強靭なフィジカル、多彩なアイディアで攻撃を牽引したジダン。迎えたブラジルとの決勝戦では、前半27分にDFエマニュエル・プティのコーナーキックに対してニアサイドに走り込み、強烈なヘディングシュートを叩き込んで先制点。さらに前半終了間際には、逆サイドからのMFユーリ・ジョルカエフのコーナーキックに再び頭で合わせて追加点を挙げた。
会場のスタッド・ド・フランスが、「ナンバー10!ジネディーヌ・ジダン!」のアナウンスとともに大歓声に包まれた。フランスは悲願のW杯初優勝。シャンゼリゼ通りはトリコロールで埋め尽くされ、凱旋門には英雄ジダンの顔が映し出された。移民の子であるジダンの活躍と存在は、その後のフランス代表、さらにフランス政治においても大きな意味を持つことになった。
ジェフ・ハースト(イングランド代表)1966年イングランドW杯
カタールW杯でムバッペがW杯決勝史上2人目のハットトリックを決めたが、1人目の男がこのサッカーの母国イングランドのストライカー、FWジェフ・ハーストだった。A代表デビューから数ヶ月後に開かれた地元W杯に出場。当初は控えだったが、エースFWの負傷によって大会途中からスタメン出場のチャンスを得た。
そして「聖地」ウェンブリーで行われた西ドイツとの決勝戦で3得点。素早いリスタートでのロングボールを頭で合わせて1点目を決めると、2対2の同点で迎えた延長前半11分に、右サイドからのクロスをゴール前でトラップして反転シュート。これがクロスバーに当たって真下に落ちるも得点が認められる“疑惑のゴール”で2点目。さらに試合終了間際に、前がかりとなった相手DFラインの裏でボールを受け、ドリブルからの左足シュートで3点目を決めて拍手喝采を浴びた。
このハーストの決勝ハットトリックは、カタールW杯ではムバッペの3得点よりも前に、日本代表の「三笘1ミリ(ドイツ戦で日本が逆転ゴールをあげた際、三笘薫によるアシストが1ミリ差でボールアウトとならず)」の際に引き合いに出されている。ドイツ国内では「疑惑のゴール」とされ「またもドイツが見放された」と嘆いた。
ペレ(ブラジル代表)1958年スウェーデンW杯
のちに「サッカーの王様」と呼ばれる男、元ブラジル代表FWペレが初めて出場した1958年スウェーデンW杯。当時17歳のペレは故障の影響で2試合を欠場した後、グループリーグ第3戦のソビエト戦でW杯初出場を果たすと、準々決勝のウェールズ戦ではW杯史上最年少となる17歳239日で得点。さらに準決勝のフランス戦ではハットトリックをマークした。
そして迎えたスウェーデンとの決勝戦、2対1で迎えた55分に魅せるペレ。左サイドからのクロスに相手DFと競り合いながら胸トラップでボールを収めると、すぐに寄せに来たもう1人のDFを巧みな浮き球で頭上を抜き、そのままボールの落ち際をボレーで叩いてゴールネットを揺らした。終了間際にも強烈なヘディングシュートを決めて2得点。「背番号10、ペレ」を世界中に轟かせ、伝説がスタートすることになった。