ブラジルを3度のワールドカップ優勝に導いた「サッカーの王様」ペレさんが29日、亡くなった。享年82歳。家族が発表した。がんの闘病中で、昨年9月に大腸腫瘍の手術を受けたが、その後も入退院を繰り返していた。今年11月に体調悪化に伴い、再度入院したと伝えられていた。

上写真=1970年のW杯メキシコ大会で3度目の優勝を果たしたペレ(写真◎Getty Images)

17歳で鮮烈のW杯デビュー

 サッカーの王様と称されるペレさんは15歳で入団したブラジルのサントスで頭角を現し、17歳のときに出場した1958年のワールドカップで6ゴールを決めてブラジルの初優勝の貢献。一躍、世界的なスターの仲間入りを果たした。その後も1970年まで4大会連続で出場し、62年、70年大会でも優勝を飾っている。とくに70年大会では史上最高の言われたブラジル代表のエースとして活躍し、4ゴールも記録。背番号10がサッカーにおけるエースナンバーとなったのは、ペレさんが背負っていた番号だったからと言われる。

画像: 1958年のW杯。左がペレさん(写真◎Getty Images)

1958年のW杯。左がペレさん(写真◎Getty Images)

 1956年、15歳のときにサントスでデビューし、16歳でブラジル代表デビューを飾るなど、若くしてその才能を発揮したペレさんは、18年間、そのサントスでプレーしたのち、1974年から1977年までニューヨークコスモス(アメリカ)で活躍。77年に現役を引退するまでに生涯通算1363試合に出場し、1281得点を記録したとされる。

 日本とも縁が深く、サントス時代に来日して日本代表と試合を行ったほか、1977年には世界各国で開催された引退試合『ペレ・サヨナラゲーム・イン・ジャパン』も行われ、『現役』最後の雄姿を披露。また、釜本邦茂さんの引退記念試合にも参加するなど、たびたび日本のピッチでユニフォーム姿を披露している。

画像: 1977年9月10日、国立競技場で開催された『さよならペレ』第1戦。スタンドはペレの勇姿を見たいファンで満員になった(写真◎サッカーマガジン)

1977年9月10日、国立競技場で開催された『さよならペレ』第1戦。スタンドはペレの勇姿を見たいファンで満員になった(写真◎サッカーマガジン)

 先ごろ、閉幕したカタールW杯でもブラジル代表の選手たちが入院中のペレさんにメッセージを送っていたが、ブラジル代表の選手たちのみならず、ブラジル国民、世界中の選手とサッカーファンがその死を悼んでいる。

 ブラジル代表の10番、ネイマールは訃報に接し、「サッカーとブラジルは王様のおかげで地位を確立できた。ペレさんは永遠です」とメッセージを発信している。

画像: カタールW杯で病気療養中のペレさんにエールを送るブラジル代表の選手たち(写真◎Getty Images)

カタールW杯で病気療養中のペレさんにエールを送るブラジル代表の選手たち(写真◎Getty Images)

PELE(ペレ)◎1940年10月23日生まれ、ブラジル・ミナスジェライス州出身。本名はエドソン・アランテス・ド・ナシメント。現役時代は171㎝、73㎏。ポジションはFW、攻撃的MF。所属クラブはバング―(1954ー56)、サントス(1956-74)、ニューヨークコスモス(1974-77)。ブラジル代表デビュー:1957年7月7日のアルゼンチン戦。代表出場数:92試合77得点W杯成績:1958年優勝(4試合6得点)、1962年優勝(2試合1得点)、1966年GS敗退(2試合1得点)、1970年優勝(6試合4得点)。

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