お笑い芸人の若井おさむ(49)が、家族から日常的に暴力を受けていたと告白。番組の取材に対し、壮絶な過去の経験を明かした。
【映像】若井おさむ “負の連鎖”に誓い「例外になってみせる」
「なんで僕は本当に生まれてきたんだろう。こんな思いするんだったら死んだほうがマシやっていうことも思ったことも、多分幼稚園とかのころから多分思ってたと思います」
アニメ『機動戦士ガンダム』の主人公アムロ・レイのものまねで、一躍人気芸人となった若井。しかし、彼が表舞台に立つまでには長く暗い壮絶な道のりがあったという。
「(幼少期は)暴力をすごくよくふるわれたというか、母親からマッチをシュッと擦って、そのままお尻にジュとやられたり。父親からは物でバーンって顔面叩かれたりしていましたね。兄とかもなぜか分からないんですけど、ご飯食べているだけで、食べ方が気にいらないのか怒鳴られてシバかれたり、何かしゃべったらどけってシバかれたり」
京都出身で、兄と両親の4人家族だった若井。家族全員から暴力を振るわれたり、暴言を吐かれたりするなど日常的に虐待を受けていたという。
また、成績優秀だった兄といつも比較され、自分だけお小遣いがもらえないなど、差別を受けることも……。こうした日々は、徐々に若井の心身をむしばんでいくようになった。
「部屋の中で回転しているような感覚や、壁が迫ってくるような感覚になったり。原因不明の腹痛とか、しょっちゅうなったりしていたので、追い詰められていたんだと思います。言い方あれですけど『(親を)殺めようか』とか、実際にすごく考えて、『どうやったらばれへんように殺めることができるだろう』とかを真剣に考えたりとかしている時期はありましたね」
高校卒業後は鮮魚市場と居酒屋で仕事をかけもちするなど家族に頼らない生活。貯めたお金で、23歳の時に地元で居酒屋をオープンするが父親の死をきっかけにそれも手離すことに……。
「本気で死ぬことも考えた」と失意のどん底にいた若井。転機となったのは、あるテレビドラマに出演していたダウンタウンの松本人志が口にしたあるセリフだった。
「『人間は笑うために生きてるんや』というセリフがあって、すごく心に刺さって。じゃあ僕もお笑いを与える方に回ろうと。『死ぬ気になったら何でもできるやろ』と思って自分の大好きだったお笑いの世界に入ろうと思って入りました」
こうして、若井は芸人になることを決意。辛い幼少期に心の支えになったという、ガンダムのアムロ・レイのものまねでブレイクし、上京する。ブレイク後も家族に変化は無く、若井自身も会わないと決めていたという。
「僕がもう本当に一方的に、一生会わないと思っていたので、僕が芸人になったことを知っているのかどうかも知らなかったですし。芸人になってから15年ぐらいたったころに、母親に対しての恨みというか、憎しみというものが全然取れなくて。すごい、心のなかでうやむやしていたことがあったので、これはもう一回その心のつっかえを取ろうと母親に会おうと思って、母親の連絡先知ってる人に連絡先を聞いて、16年ぶりに会いに行ったんです」
16年ぶりに果たした母親との再会。初めは謝罪の言葉が並んだものの、その後は兄の自慢話ばかり……。母親は何も変わっていなかったという。
「この人は本当に、こうなんか赤の他人になれるわ。もうそこで自分の心のつっかえも取れて、これで2度と会うことはないなと思って、そこでスパッと切ることができました」
母親と絶縁し、若井は今年、第1子が誕生。49歳にして父親となった。そんな若井が、現在危惧しているのが暴力をふるわれた子どもが親になったときに、自らの子どもにも同じ行為をしてしまう“負の連鎖”。若井は、過去の経験から自分は同じ過ちは絶対に侵さないと強く話す。
「『じゃあ例外になってみせますよ』と。愛情を与えられてないので、どういう風に接したらいいかわからない。自分がやられたことをそのままついしてしまうのがあるのかもしれないですけど、僕は自分のやられたことをものすごく覚えているので、絶対にそういうことはしないと誓っています」
そして、現在子どもを持つ親に向けこう訴えた。
「『本当に自分は大丈夫か』『虐待になってへんか』とかを考えて欲しいと思います。僕がやられてた時、それが虐待やっていうことに自分は気付いてなかったんですけど、多分親も気づいていなかったと思うので。子育てをしている方は自分はそういうことをしてないかっていうのを一回ちょっと考えてほしいなと思います」
(『ABEMAヒルズ』より)
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