故郷を思いながら遠く離れたアパートで暮らす家族
野口さん一家
輪島市からおよそ100キロ離れた金沢市には、アパートの一室で、南志見地区から集団避難した、野口成二(のぐち・せいじ)さん、妻の志穂(しほ)さん、去年生まれた銀志(ぎんじ)くんの3人家族が暮らしている。
地震からおよそ2週間後にアパートに入ったという野口さん一家。民間の賃貸住宅を2年間仮設住宅として使う、「みなし仮設」の制度を利用している。5年前に建てた自宅は裏山が崩落し、やむなく集団避難を受け入れた。
「家を建てて、子どもが生まれて、さあ頑張るぞといった途端にこれだったので。それでも生きていたのでよかったですけど。亡くなった方もいますけど…。なんとか生きていてそれだけが救いやなって思います」(野口成二さん)
地震の前は地元の農業法人で正社員として働いていたが、避難先の金沢市からは通勤に片道2時間ほどかかるため退職したという。
「仕事とか、見つからないということはないと思うんですけど、収入が減ったりするのかなと思うとちょっと心配はありますね」(野口志穂さん)
「頑張るしかない、前向きに。落ち込んでいても仕方ないので。前向きに家族のために働くしかない」(野口成二さん)
そうした中、野口さんはJAの職業紹介制度に登録した。紹介されたのは、農業の経験を生かせる正社員の求人だ。家族のことを考えれば好条件の求人だったが、野口さんの中で南志見を思う気持ちは消えない。
野口成二さん
「『辞めません』とは言えないですよね。帰りたい気持ちがあるというのは、ここで仕事ができないということ。ただ、帰れるとしてすぐに帰るかといえば、それはわからない。正直に言っていいものなのか…。面接に響いて『いずれ辞めるなら雇わないでおこう』となるかもしれないですしね」
そう語っていた後、「いつかは故郷に戻りたい」と伝えた野口さんに、不採用の通知が届いた。
復旧・復興に向けた道のり

