「望郷」と「現実」に揺れる住民
野口さん宅の窓
自宅を片づけるため、一時的に南志見に戻った野口さん。結婚を機に5年前に新築した自宅だが、窓には崩落した土砂が迫り、隆起の影響で床は傾いていた。集団避難した集落のため、建物の安全性を調べる「応急危険度判定」は行われなかった。
「(自宅は)基礎から直す形になると思う。地面もどうやって直すのかわからんけど。専門の人と喋って…そんな形になるんかな。このままじゃ住まれんからね。また、震災前の生活に戻れるだけでいい。それが願いですね、本当に」(野口成二さん)
正社員の求人は不採用になったが、パートやアルバイトにも幅を広げて、就職活動を続けていた野口さん。しかし、農業法人での長期アルバイトも不採用だったという。「なかなか長期のアルバイトは、募集してないみたいやし、業種変わってでも視野を広げて長期のアルバイトで雇用してくれるところ探すしかない。どんな形であれ雇ってくれるところがあったら、そこで働かしてもらって。ほんで帰ればいいんじゃないかな…」。
石川県の馳浩(はせ・ひろし)知事は復興に向けて「誰しも自分の故郷を忘れるものではありません。物理的に様々な事情で今回の地震で当面、違うところで居住せざるを得ない方もいらっしゃいます。しかし、必ず故郷に帰ろうと思えば、帰ることのできる状況を作るというのが私のミッションだと思っています」と語っている。
南志見地区の仮設住宅
一方、南志見地区で建設が進められていた仮設住宅は、2024年4月から住民への引き渡しが行われた。大宮氏は「不安と楽しみと半々やわ。できた楽しみはあるけど、帰ってきてくれるかの不安も残っとる。絶対来るという保証がないからな」と心情を述べた。
集団避難の後、故郷を追われた人たちは、再び選択を迫られている。南志見へ戻るのか、戻らないのか。「それ見届けて死にたい。それは本当に思うな。そこまで頑張りたいけど、どうなるかわからん。とにかくやるだけやってみる」(大宮氏)
(北陸朝日放送制作 テレメンタリー『望郷と現実と ~能登半島地震 集団避難の行方~』より)