「僕はこの約1年間、ボクシングを一生懸命やってきました。僕がしてきた努力はだれにも奪わせません。絶対に勝つ。その一心でがんばります」
健文にチャンスを作ったのは3150ファイトの亀田興毅ファウンダーである。2人は中学時代に大阪のグリーンツダジムでともに汗を流した仲であり、亀田ファウンダーにとっても今回の試合は思い入れが深い。
「僕が中学3年生のとき、健文が2年生。1年生には弟の大毅と井岡一翔選手がいた。一緒に練習した4人のうち3人が世界チャンピオンになって、一番の天才と言われていた健文がチャンピオンになっていない。遅れてきた天才というんですかね。勝てばスーパーフライ級が盛り上がると思います」
メキシコの元WBCライトフライ級王者、ヘルマン・トーレスを父に持つ健文は2度目の刑務所暮らしを終えて23年6月にリング復帰を果たした。ところがブランクの影響はやはり大きく、復帰後は2連敗を喫した。24年1月にようやく初勝利を挙げると、同年5月にバンタム級世界1位のレイマート・ガバリョに番狂わせの初回TKO勝ち。同年8月にはスーパーフライ級世界1位に判定勝ちして今回のチャンスにつなげた。
健文はいったい何が変わったのか。本人はその理由をよどみなく話した。
「何より自己管理の仕方が分かったのが大きい。決めたことは絶対に変えない。すべてにおいて感じ方が変わりました。いくら厳しいトレーニングをしても、苦しいという言葉が一つも出てこない。もちろん年齢を重ねて、若いころにできたことができないこともある。でも、それもうまくコントロールできるようになりました」
復帰したばかりのころは所属ジムもなく、頭を下げていろいろなジムで練習をさせてもらった。ボクシングの練習をしながら建築関係や介護の仕事で生計を立てた。それがいまはTMKジムに所属して多くのスタッフに支えられ、アルバイトをせずにボクシング1本で生活できるようにもなった。本人曰く「すべていい方にしか向かっていない」のである。
健文は「レールに戻った」とも表現した。「変わった」というよりも、「元に戻れた」というのだ。
「刑務所では自殺しようと思ったこともあった。でも最後の最後、意地を張らずにごめんなさいをして、ほんまに素直に生きていたころの自分の人生に戻ろうと誓いました。ハートで生きる。シンプルに信号が青だったら渡る、赤だったら止まる、そうやって昔の自分に戻ることができて、縁が切れた人も戻ってきた。もともと敷かれていた人生のレールに戻ることができたんです」
健文の前に敷かれていたレール。それはボクシングの世界でチャンピオンになることに他ならない。世界王者の息子として生まれた健文にとって、それは決して特別なことではなかったという。
「生意気に聞こえるかもしれないけど、世界チャンピオンの息子としてボクシングを学んで、世界王者になるのは当たり前、スタートラインだという感覚があるんです。僕が最終的に目標としているのはWBCバンタム級のベルトです。正直に言えばスーパーフライ級はそのためのステップ。そうとすら思っています」
かつて父親が保持したWBCのベルトは健文にとって他の団体のベルトとはまったく異なる価値を持つ。父ヘルマンは1988年12月、5度目の挑戦で35歳にしてベルトを腰に巻いた。韓国からメキシコにタイトルを持ち帰ったヘルマンはホセ・スライマンWBC会長に感謝の意味を込め、まだ子どもだったマウリシオ・スライマン現WBC会長にベルトをプレゼントした。
このエピソードには続きがある。それから30数年後、健文とヘルマンがメキシコシティのWBC本部に呼ばれたときの出来事だ。
「マウリシオ会長がこうスピーチしました。昔、あるチャンピオンが自宅に来て私にチャンピオンベルトをくれた。そしてこう言った。キミのお父さんが偉大だからこのベルトをキミにプレゼントするんだ。この言葉があったからこそ私はWBCを継ぎ、WBCとともに生きていこうと思った──。そういう縁がWBCとはあるんです。やっぱりWBC、そして黄金のバンタム級でチャンピオンになるのが僕の目標。だからスーパーフライ級はあと2試合(挑戦者決定戦と世界戦)。そう決めているんです」
そのためにもまずはスーパーフライ級でベルト獲得のミッションを完遂しなければならない。対戦相手のヒメネスはよく動き回るタフなファイターであり、決して楽な相手ではない。それでも技術で上回る健文は「前半に下(ボディ)で止めて2、3ラウンドで倒したい」と圧勝の青写真を描く。自信があるからこそ口にできる言葉だろう。
いまのところ調整は順調で、昨年8月の試合前に痛めた腰痛も完治し、毎日午前と午後の2部練習を休みなく続け、フィジカルトレーニングで体も大きくなった。そして仕上げとなる7月上旬のスパーリングをIBFフライ級王者の矢吹正道(LUSH緑)に要請し、快諾を得た。
「矢吹選手が3月、IBFフライ級タイトルマッチを迎えるにあたり、僕が名古屋で1か月間、スパーリングパートナーを務めました。矢吹選手が世界戦に向かうまでの空気感がすごかった。あの厳しい戦いを勝ち切った矢吹選手と1日でもスパーリングができたら励みになる。そう思って矢吹選手に最後のスパーをお願いしたんです」
3150ファイトによるとキルギスでプロボクシングのイベントが開催されるのは始めてのこと。未知の国での大一番は不安も付きまといそうだが、健文は「相手のホームではなく第3国ですし、リングはどこでも四角ですから」と前向きな姿勢を崩さない。
ヒメネスに勝利したあとは、あの井岡一翔に2連勝したWBA王者フェルナンド・マルティネス(アルゼンチン)がターゲットとなる。ヒメネス、そしてマルティネスを倒し、黄金に輝く緑のベルトを手に入れる。健文の壮大なチャレンジはこれからが本番だ。
