国籍の回復に向け、大きな前進
降り立ったのは沖縄。パスポートの記録が見つかった盛根蒲太(モリネ・カマタ)という男性は、モリネ・リディアさん、エスペランサさん姉妹の証言と同じ沖縄県の出身だった。
まず本籍地に書かれていた場所に向かったが荒地になっていた。
だが、地元の協力者の話では、盛根姓は今もこの地域に多いとのこと。戦前、この地域から海外に移り住んだ人たちの記録が残っていないか。手がかりを探す中、県立図書館に沖縄の移民に関する資料がデータベース化されていることが分かった。
「盛根蒲太」で検索してみると…
最初の渡航から5年後に再びフィリピンに「漁業ノ為メ再渡航」という記載が見つかった。姉妹の証言と一致する。
さらに、蒲太さんには弟がいることも。その弟もフィリピンに渡っていた。
猪俣典弘氏「弟さんの家族が生存していて、そして自分の大叔父にあたる蒲太さんはフィリピンに渡り、そして家族を持っていたということの承認が得られると大きな国籍回復の一つの証拠になる」
その後、盛根蒲太さんの弟の孫が那覇市内に住んでいることがわかり、連絡を取ることができた。日本国籍の回復に向け、大きな前進だ。
多くの人は証拠が足りず、申請さえできていない
支援団体がこの日、オンラインで聞き取りを行っていたのは、コダイラ・チエコさん(84)。20年前に名乗り出たチエコさん。その後の調査で、日本人の父親は戦時中、フィリピンで死亡したことがわかった。これを手がかりに両親の婚姻記録を探したが戦争で焼け、残っていなかった。親子関係が証明できず、進展がないままだ。
日本国籍回復の申請は弁護士が家庭裁判所に対し行う。直面するのは司法の高い壁だ。
日本国籍回復を長年支援してきた青木秀茂弁護士「(無国籍の)ご自身が結婚した時、教会から洗礼証明書が出てきた。そこには(日本人の)お父さんの名前がはっきり書いてあった。だが裁判所では『これは証拠ではない』と。『父親が現地で婚姻したという証拠がどこにも提出されてないじゃないですか』いうことで終わってしまった」
調査開始から20年余り、家庭裁判所の許可を得て、これまで324人が国籍を回復できたが、多くの人は証拠が足りず、申請さえできていない。戦争によって置き去りにされたケースとして、中国残留孤児の問題がある。国に対し同様の救済を求めているが…
青木秀茂弁護士「中国残留孤児は国策で日本政府が満州国を作るために送り込んだ夫婦ともに日本人だと。でも、フィリピンは男性が勝手に行ったんだ、と。現地で結婚して戦争の結果、2世の子どもが残されたとしても、それは国策でやった満州国とは違うと」


